礼拝説教

2008年12月14日

「愛を教えるために来られた方」
ヨハネ13:34-35、I ヨハネ4:7-12

 救い主イエス様がこの世に来られ、人として生まれてくださった最大の目的は、私たちを罪から救い、永遠のいのちを与えるためです。しかしその他に私たちに大切な事柄を教えるためにも来てくださいました。そのひとつは神の愛を教えてくださることでした。その愛とは何でしょうか。ヨハネの福音書と手紙から学びましょう。

 I. イエス様が私たちを愛してくださいました。
 主イエスは、弟子たちと最後の食事をしておられたとき、弟子たちに最も重要な戒めを与えました。それは、「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)というご命令でした。イエス様は、弟子たちに互いに愛し合うことを命じましたが、ご自分はそのことに無関係だとはおっしゃいませんでした。弟子たちが、互いに誰が一番偉いのかと競い合っていた時に、主イエスは最初から最後まで弟子たちを愛し通されました。それは日常生活の場におけることばと行いだけでなく、十字架にかかって死んでくださったことによって表された「神の愛」でした。ヨハネは、第1の手紙の中で「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(4:10)とその愛を明らかにしています。そのような愛は本来人間にはない愛です。まさしく神の愛です。その愛をイエス様は弟子たちに、そして私たちすべてに教えられたのです。私たちはこのような犠牲的な愛をまず知らなければなりません。

 II. 私たちも互いに愛し合うべきです。
 このような戒めは、十戒に代表される古い戒めに代わる、新しい戒めです。十の戒めではなく、たった一つの戒めです。でも決して易しくはありません。弟子たちが、いがみ合いをなくして、仲良しになればいいと言うのでもありません。主イエスの十字架に示された神の愛ですから、本来の人間にはないものです。でも、主は「互いに愛し合いなさい」と言われました。そのためにはまず、私たちが主イエスから神の愛を受けなければなりません。主はこうも言われました。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。」(ヨハネ15:9) この愛は、私たちが主イエスを信じ、従って行くとき、救いとともに与えられる御霊の実と言えるでしょう。それはまた、主イエスにとどまっているとき、主からいただける賜物と言えるでしょう。その愛は最初、どんなに小さくてもやがて大きくなって行くことが期待されます。そのような愛を与えられて、弟子たちはペンテコステの時から互いに愛し合いました(I.ヨハネ4:7.11)。今日の私たちにもその愛が与えられるのです。だから、私たちも互いに愛し合いましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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