礼拝説教

2009年1月25日

「約束の救い主イエス」
使徒の働き13章23〜31節

 ユダヤ人たちの目から見れば、私たち日本人はすべて一括した呼び名「異邦人」に属します。イエス・キリストがこの世に来られるまでは、多くの異邦人は天地創造の神の存在を知らず、(旧約)聖書も見たことがなく、罪からの救いに預かりませんでした。しかし、今や旧約聖書の中に約束された救いをいただくことができるのです。パウロの説教を続けて見て行きましょう。

 I. イエスはダビデの子孫であり、約束された救い主である。
 パウロは、救い主イエスを主にユダヤ人たちに紹介するとき、先週見たように、聖書に記されているモーセの歴史から解き明かして、ダビデへの約束の成就として救い主イエスを説明します(23節)。ユダヤ人にとって一番の関心事は、聖書に預言された救い主は誰か、ということだからです。私たちがクリスマス・シーズンに朗読するように、救い主イエスに関する旧約聖書の預言は少なくありません。彼らは、安息日ごとにそのような預言者のことばを聞いていたのです(27節)。また、イエスが救い主としてユダヤに来られたとき、バプテスマのヨハネの果たした役割は大きかったのです。彼は、自分はただのとるに足りない人間に過ぎないのに、後から来られるイエスは神であり、自分はその方のくつのひもを解く値打ちもない、と言いました(25節)。彼はイエスを見たことがなかったのにもかかわらず、神の啓示によって、分かったのです(ヨハネ1:33参照)。このようにユダヤ人たちは主イエスを見たとき、聖書に約束された救い主と信じるべきだったし、ヨハネの証言を受け入れるべきだったのです。

 II. イエスはユダヤ人により十字架にかかり、よみがえられた。
 ところが多くのユダヤ人たちと指導者たちは、彼らが待ち望んでいたメシヤ像とイエスがあまりに違うと考えたのでしょう。安息日ごとに読まれる預言者のことばを信じず、このイエスを罪に定めて、十字架につけてしまったのです(27-28節)。この裁判にローマ人のポンテオ・ピラトが深く関わり、大きな役割を果たしたことは、私たちの知っている通りです。確かに、主エスが十字架にかかって、死なれたことは、預言された通りであり、その成就です。しかし、主イエスには罪がなく、何の落ち度もありません。本来ならば、裁判で有罪になるはずがないにもかかわらず、ユダヤ人たちは、自分たちの立場を守りたいと願う自己中心な思いとイエスへの憎しみから、イエスを罪に定め、十字架につけてしまったのです。しかし、主イエスはよみがえりました。御父はイエスを墓の中からよみがえらせました(30節)。ペテロがかつて言った通りです。「しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。」(2:24)そしてイエスは、多くの弟子たちにご自分を現されました。「今日のみことば」を参照しましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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