礼拝説教

2009年2月8日

「主の恵みによって信仰に入る」
使徒の働き13章42〜52節

 多くの人たちは、自分が主イエスを信じた時のことをよく覚えているでしょう。でも次のように考えたことはありませんか。---果たして自分自身の決心だけによって信じたのか、それとも信じるように神様が働いてくださったのだろうか。確かにあの時、私が自分の意志で主イエスを信じる決心をしたのだけれど、もしあの時決心していなかったら、決心はずっと後まで延びてしまったかも知れない。---今日の聖書箇所は、私たちの疑問に答えを与えてくれるかも知れません。

 I. 主のことばを受け入れない。
 人々の要請で次の安息日にもパウロは説教しましたが、説教を聞いたユダヤ人と神を敬う人たちの多くは、みことばを受け入れたようです(42-43節)。パウロは彼らに、神の恵みにととどまるように勧め、次の安息日にも、集まったほとんど町中の人に神のことばを語りました。しかし、これを見たユダヤ人たちは、妬みに燃え、パウロの話に反対して、口汚くののしりました(44-45節)。そこでパウロとバルナバは、はっきりと宣言しました。「神のことばは、まずあなたがたに語らなければならなかったのです。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。」(46節前半)
このように福音を聞いて、それを拒んでイエスを信じないのはその人の責任です。自分の意志で永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。私たちには信じるか信じないかの自由が与えられています。パウロにとってこのピシデヤのアンテオケでの出来事は、彼の伝道が主にユダヤ人から異邦人に向けられ始めた画期的な時となりました(46節後半)。それはイザヤ書の預言の通りでもあります(47節、イザヤ49:6)。

 II. 主のことばを受け入れる。
 パウロのことばを聞いて異邦人たちは喜び、主のみことばを賛美しました。「そして、永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰に入った」のです(48節)。ここに神様は、私たちのすべてをご存知であること、私たちを救いの中に入れてくださることを、予定しておられることが分かります。私たちには分かりませんが、私たちが信じる決心ができたのは、主があらかじめ定めておられたからなのです。しかし、信じないと決めるのは、その人の責任においてすることです。そして、その人が最後まで救われないように定まっているかどうか、私たちにはわかりません。すべては主がご存知です。私たちのしなければならないことは、すべての人に福音を宣べ伝えることです(マタイ28:19-20)。また、すべての人が救われることを主は望んでおられますから(I テモテ2:4)、私たちはすべての人に福音を語るのです。こうして見ると、主を信じられたのは、神様が働いてくださったからだと言えるでしょう。私たちは、実に、主の恵みによって信仰が与えられ、信じる決心ができたのです(エペソ1:4-5,8参照)。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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