私たちは生まれると同時に、多くの偶像の神々に囲まれて生きています。一般の家庭では、生まれてからの様々な行事が近くの神社を中心に行なわれ、それをごく自然に受け入れています。例えば生まれて7日目の夜をお七夜といって、お祝いしますが、これは神道と関わる行事でしょう。またお宮参り、一才の誕生日のお祝い、そして七五三のお祝いも当然のこと氏神とか神社と関係があります。このような環境で育った私たちが真の神に立ち返りためには、とうしても福音を聞くことが必要になります。ギリシヤ人たちの場合も同じでした。
I. 福音によって神に立ち返る。
ルステラの人たちがバルナバやパウロをギリシヤの神々が下って来たのだと思って、二人に雄牛のいけにえをささげようとしたので、パウロたちは必死になってそれをやめさせようとしました。何よりも自分たちは普通の人間であることを大声で言いました。そしてむなしい造られた神々(偶像)を礼拝するのではなくて、天地万物を造られた生ける神に立ち返るように勧めます(15節)。真の神はご自身をあかししないのではなく、天から雨を降らせたり、季節ごとに木々を実のらせ、収穫を与えて楽しませてくださいました。だから、人々は自然界から真の神を見いだすべきなのです。しかし、人々は中々自然界からまことの神を見いだすことは困難です。どうしても福音を語らなければなりません。福音は、父なる神から遣わされた救い主が、十字架と復活によってあがないのみわざを完成し、信じる者はみな救われる良いしらせなのです。こうして福音によって天地を造られたまことの神を知り、信じることができるのです。
II. 福音によって生きる。
ルステラの群衆は、パウロたちの必死な説得によって、いけにえをささげるのをやめました。しかし、ここでもまた、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちがやって来て、群衆を抱き込み、パウロを石打にし、死んだと思って、町の外に引きずり出しました。しかし、パウロは弟子たちに囲まれた中で、立ち上がって町に入り、その翌日バルナバとともにデルベに向かいました。そこでも彼らは福音を宣べ伝え、多くの人を弟子としました(21節)。その後、これまで福音を語って来た町々に引き返し、弟子たちに、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と言いました(22節)。このように信じた後の生き方が大切です。パウロと同様に、新しく弟子となった者たちも、多くの苦しみを経験しなければなりません。こうして約束の御国へと入ることができるのです。間もなくパウロたちはこの地を去って彼らを遣わした、シリヤのアンテオケに戻って行きます。指導者のいない生まれたばかりの教会は極めて危険です。パウロたちは、教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈り、彼らをその信じていた主にゆだねました。 |