礼拝説教

2009年3月1日

「ただ主の恵みによって救われる」
使徒の働き15章1〜11節

 パウロの第1回伝道旅行は豊かな実を結んで終りました。パウロとバルナバを通して多くの異邦人が福音を聞き、救いの中に入れられたのです。ところがある人々がユダヤからアンテオケに下って来て、異邦人から救われた兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教え始めたのです。こうしてパウロやバルナバと彼らの間に激しい対立と論争が生じました。そこで二人と共に何人かの仲間たちが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになりました。

 I. 異邦人は福音を聞いて救われた。
 パウロたちは、エルサレムの教会で、神が彼らを用いて行なわれた働きについてみな報告しました。しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである」と主張しました(5節)。そこで使徒たちと長老たちは、集まってこの問題を討議しました。彼らの間に激しい論争があった後、ペテロがこう結論づけました。「教会が始まった頃から、神は異邦人を顧みて、彼らが私の口から福音のことばを聞いて、信じるようにされたのです。また、私たちに与えられた聖霊を彼らにも与えて、そのことのあかしをされました。こうして私たちと彼らとの間に何の差別もされずに、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。」(7-9節)このことは非常に重要な事実です。異邦人もユダヤ人も全く同じ福音を聞いて、救われるからです。そして、「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです」(11節)とペテロは締めくくりました。

 II. ユダヤ人さえ律法のくびきを負いきれなかった。
 ペテロは、彼の話しの中でパリサイ人たちに特にわかってほしいことを語りました。それはユダヤ人たちが、父祖であるアブラハムから始まって今日まで、だれひとり負いきれなかったくびきを、異邦人の弟子たちの首にかけて、神を試みようとする過ちです。主はモーセの律法をユダヤ人たちに与えて、それを守るように命令しましたが、彼らが守り行なえなかったことは先刻ご承知でした。そのままではすべてのユダヤ人は滅びてしまうことになってしまいます。そこで旧約時代には、罪のためのいけにえによって彼らの罪は赦されました。しかし、完全な罪の赦しを与えるためにイエス・キリストがこの世に来てくださり、十字架にかかってよみがえり、救いの道を開いてくださったのです。こうしてだれでも行ないによってではなく、信仰によって救われる道が開けてのです。だからこそ、異邦人からクリスチャンになった人々に割礼を受けさせることは、みこころに反することなのです。「今日のみことば」の通り、私たちは今、恵みの中に生かされていることを、心から主に感謝しましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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