礼拝説教

2009年3月8日

「異邦人がみな主を求める」
使徒の働き15章12〜21節

 今日では、異邦人とかユダヤ人とかの区別を考える教会は、おそらく世界のどこにもないでしょう。しかし初代教会においては、異邦人がクリスチャンになることはまさに大きな問題でした。多くの異邦人が次々に救われて教会に加えられて行く一方、彼らのこれまでの習慣をどうあらため、ユダヤ人の習慣とどう共存させるかが大きな問題でした。

 I. 異邦人も主を求めることが預言されていた。
 エルサレムでの会議において、パウロとバルナバを通して多くの異邦人が救われて、教会が次々に建てられて行った次第があかしされました。会議に集まった長老たちは、彼ら異邦人も同胞ユダヤ人と同様に恵みによって救われたことを認めないわけにはいかなくなりました。そこで主イエスの兄弟ヤコブが立って、総括を始めました。異邦人も救いの恵みにあずかることは、旧約聖書に預言されていることでもあります。彼はアモス書の9:11-12他を引用して、「その後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す」(16節)と述べました。それは、主イエス・キリストが、ご自身の十字架と復活によって、倒れたダビデの幕屋を教会として再建することです。また、「それは、残った人々、すなわちわたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるため」なのです(17節)。このように初めから、神の救いのご計画の中で、異邦人も救われることが定められていたのです。「今日のみことば」エペソ1:4-5参照。

 II. 異邦人も守るべきルールが決められた。
 このように、恵みのよって救われた異邦人に、ユダヤ人と同じような割礼を強要することは間違っています。しかし、異邦人が偶像との関わりで生きて来たので、彼らに何らかに指針を示すことも必要です。そこでヤコブは続けて一つの解決策を提案しました。それは、ユダヤ人たちがどうしても耐えられないことで、同時に異邦人も守った方が良いと考えられるルールです。まず、神に立ち返る異邦人を悩ましてはいけないことを確認し、次に「偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべき」(20節)ということです。これなら、依然として安息日ごとに読まれているモーセの律法とも両立できるでしょう。異邦人も、偶像に供えられた汚れた肉は食べない方がよいのです。また、不品行はキリスト者として絶対に避けるべきことであり、絞め殺した物と血は、律法に従って生きて来たユダヤ人が到底受け入れられないことです。このような最小限の守るべきルールが決められ、各教会に送られれば、大きな問題は解決へ進むでしょう。そしてその通りになるのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
静岡県富士市今泉2640-15 TEL&FAX:0545-52-6382