今日はイースター、イエス様がよみがえられた日です。先週の金曜日にイエス様は十字架にかかって死なれ、今朝死人の中からよみがえられたのです。イエス様がよみがえられたことにどんな意味があるのでしょうか。それをご一緒に考えてみましょう。
I. イエス様はよみがえられたので、今も生きておられる。
日曜日の朝早く、女たちはイエス様のからだに香料をぬろうとお墓に急ぎました。ところが墓に着いてみると、墓の入り口を塞いでいた大きな石がわきに転がしてあって、その中にイエス様のからだがありませんでした(3節)。途方にくれている女たちに二人の御使いが現れて、こう言いました。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。」(5-6節)。よみがえられたということは、もはや死んではいないということです。今も生きておられるということです。イエス様はその日から弟子たち現れました。今日の聖書箇所に続いて書いてあることですが、エマオという村に向かっていた二人の弟子たちにイエス様が現れて、ご自分が十字架にかかって死ななければならなかったこと、三日目によみがえるはずだったことを旧約聖書の中から詳しく説明しました(26〜27節)。死んだ人が人々の前に現れてお話などできません。でも、イエス様は今も生きておられますから、私たちは、天におられるイエス様と父なる神さまに礼拝をおささげしているのです。
II. イエス様はよみがえられたので、私たちの罪が赦される。
もしイエス様が私たちのために十字架にかかって死んでくださったとしても、死んだままでよみがえらなかったならば、私たちの罪は赦されるでしょうか。赦されるはずがありません。イエス様が死んだままですから、神の御子ではなく、ただの人間に過ぎなかったことになります。人間はだれでも死にます。だから人間はほかの人を救えないのです。しかし、イエス様は死んで三日目によみがえりました。だからイエス様は私たちの罪を赦すことができるのです。「主イエスは私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです」(ローマ4:25)とパウロが言っている通りです。私たちはイエス様を信じるなら、罪が赦され、「あなたは正しい人です」とさえ言ってもらえるのです。すばらしいことですね。そしてイエス様は、私たちに永遠のいのちを与えてくださいますから、私たちはイエス様のおられる所、天国に行くことができます。死んで魂がなくなってしまうことはありません。イエス様を信じる人は、だれでも天国に行けます。これもすばらしいことですね。 |