今日は「母の日」です。これは今から約100年前にアメリカは東部のマサチュセッツ州のとある小さな町で始まった行事です。その町の教会で26年間も日曜学校の先生をして、亡くなったクララ・ジャービズという婦人の追悼会に、娘のアンナがお母さんを偲び、お母さんの愛に感謝を表すために、1箱のカーネーションを会場に飾りました。これは列席した人々に深い感銘を与え、やがてクリスチャンのデパート店主がこれを知ることとなり、5月の第2日曜日に店頭で盛大な「母の日」の記念会を催しました。これが1908年のことで、次第にアメリカの各地に広まることとなりました。わが国には1923(大正12)年に最初の母の日が行われました。今朝は、母の子どもたちに対する愛をヤコブとヨハネのお母さんを中心に聖書から学びましょう。
I. 母は、誰よりも自分の子どもの幸せを願います。
ゼベダイの子たち(ヤコブとヨハネ)の母は、他の母親と同じように、否それ以上に自分の子どもたちを心にかけていたようでした。時は、主イエスが三度目の受難予告をされた直ぐ後で(マタイ20:17-19)、一行はエルサレムへ上ろうとしていました。ゼベダイの子たちの母(サロメ)は、イエスの母マリヤの姉妹です。間もなく主イエスがエルサレムに上るので、いよいよ神の国が実現する日も近いと思い、この母は二人の成人した息子と一緒にイエスのもとに来て、ひれ伏し、「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左に座れるようにおことばを下さい」とお願いしました(20-21節)。12弟子がしのぎを削っている中で、最も手強いライバルはペテロだから、先に息子たちのためにその地位を確保しようと願ったのです。弟子たちと同じように、母のサロメも神の国がこの世の国でないことを少しも理解していませんでした。その上、自分の子どもが一番大事だったのです。母サロメの取った態度には、現代の母親と極めて共通する点があります。自分の子が誰よりも大切で、他の子どもたちはライバルだという点です。
II. 母はやがて、子どもの最期を見守ることになります。
主イエスの説明にあるように、母も息子たちも「自分が何を求めているのか、わかっていないのです。」(マタイ20:22) イエスは間もなく十字架にかかられます(杯を飲むこと。弟子たちもやがて、何も知らずに答えたように、苦難の杯を飲むことになります。22-23節)そしてよみがえって、神の国を実現します。主イエスの働きを継続する弟子たちは、主のしもべとしての生き方をし、主と同じように苦難の道を歩むことになります。それは異邦人の支配者たちや偉い人たちの願いや生き方とまったく逆なのです(25-27節)。このしばらく後で、サロメは、主イエスの十字架の死を最期まで見守ることになります(27:56)。主の母マリヤと悲しみを分かち合ったことでしょう。やがでサロメは、自分の子どもたちが神のみこころを知り、使徒としてその使命に生きて行くのを静かに見守ります。そしてイエスの死から14年後くらいに、(もし生きていれば)わが愛するヤコブの殉教による死を見守ることになるのです(使徒12:1-2)。覚悟はしていたでしょうが、それは母としてもっとも悲しい経験だったことでしょう。 |