私たちの目には見えませんが、三位一体の神の第三格に属し、私たちの信仰の歩みのために大切な働きをされる聖霊は、いつ受けることができるのでしょうか。それは主イエスを信じた時にです。今から2000年前の今日、ペンテコステの日に約束の聖霊は、主イエスによって、初めて弟子たちに与えられました。それは画期的な出来事でした。
I. 聖霊は主イエスを信じるすべての者に与えられます。
ペンテコステ(五旬節、ユダヤ人の三大祭りのひとつ)に大勢のユダヤ人が、遠くの国々から、近くの国々からエルサレムに集まって来ました。その時主イエスは、天におられて、集まっていた人々が目で見たり、耳で聞いたりできる、しるしをともなって、約束の聖霊を弟子たちに注がれました。弟子たちは聖霊をいただいて、自分たちが今まで話したこともない他国のことば(異言)で話し出しました。このようなしるしが伴ったのは、聖霊の注ぎという始めての出来事が確かに今実現した、とわかるためです(使徒2:33)。この同じ日に大勢いたユダヤ人たちも、ペテロの説教を聞いて心を刺され、悔い改めて主イエスを信じました(37-41節)。おおよそ3000人がバプテスマを受けましたが、彼ら全部にも聖霊が与えられたのです。その時から主を信じる者はひとりの例外もなく、聖霊を受けることができます。大人であっても子どもであっても、みな同じ祝福にあずかります。
II. 聖霊は信者だけでなく、この世の人たちにも働きます。
主イエスは、天から送られる聖霊を特に「助け主」と呼んで、ご自分のお働きを継続するかたちで明らかにされました。この助け主、聖霊は、主を信じる者たちだけでなく、この世の人たちにも働きます。世の人たちの多くはイエスを正しく知しりません。多くのユダヤ人たちはイエスが約束されたメシヤではなく、神を冒涜する偽の預言者だと思って、十字架につけてしまいました。しかし、ペンテコステに聖霊が下ると、世の人たちは、イエスについて間違っていたことを認めることになります。まず、罪についてです。彼らは、救いの手を差し伸べておられるイエスを信じないことが罪であることを認めることになります。次に、世の人たちは、自分たちが正しく、イエスは罪人だと信じていました。しかし、主イエスがよみがえって、天に昇られ、御父の右の座に座られたことは、御父がイエスを正しい方としてお認めになったことを証明したことになります。主イエスが正しく、世が正しくないのです。最後に、世の指導者たちは、自分たちがイエスをさばいたと思っていますが、実は主イエスこそさばき主であることを認めることになります。イエスはもう一度さばき主としてこの世に来られます(再臨)。以上のように聖霊は、世の重大な誤りを明らかにし、彼らに認めさせるのです。 |