今日牧師や伝道師、宣教師は、一般に教会などから生活に必要な費用を与えられて、伝道や牧会に専念します。しかし、様々な事情で、伝道者が自らの生活費を稼いで、伝道に励む場合もあります。パウロの時代も状況は同じでした。
I. 時には働きながら教える。
パウロはアテネを去ってコリントへやって来ました。コリントの町は、交通の要衝で商業の盛んな、活気のある町でした。しかし、偶像霊拝の盛んな道徳的に乱れた町としても有名でした。そこで、これからパウロの伝道を一緒になって支えるアクラとプリスキュラという夫婦に出会いました。時のローマ皇帝クラウデオ帝がすべてのユダヤ人をローマから退去させるように命じたため、近頃イタリヤからやって来たのでした。パウロはこの夫婦の所に泊めてもらい、二人と一緒に天幕作りに精を出しました。パウロはタルソで生まれ育ちましたが、当時のユダヤ人の家庭に倣って(親が子に手に職をつけることを教えていた)、父親から天幕作りを教わったのでしょう。このように働きながら、パウロは安息日ごとに会堂に行き、ユダヤ人たちと聖書について論じ、ユダヤ人やギリシャ人を承服させようとしました。パウロの目的はあくまでも伝道であり、教えでした。そのために時には働きことも必要でした。
II. 時には専念して教える。
ところがシラスとテモテがマケドニヤ(ベレヤ、17:14)からやって来ると、パウロは天幕作りを止めて、みことばを教えることに専念しました。おそらく彼らがピリピの教会から少なくない献金を持って来たからでしょう(ピリピ4:15参照)。パウロの主な主張は、「今日のみことば」にあるように「イエスが、キリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した」ことです(5節)。ユダヤ人たちが知らなければならないことは、彼らの知っているナザレのイエスは、ユダヤ人たちが何百年も前から待ち望んでいたメシヤに他ならないことなのです。パウロはいつもこの点を強調しました。しかし、多くの場合ユダヤ人は心をかたくなにしてパウロのメッセージを受け入れません。それどころか暴言をはいたり、迫害したりします。彼は6節のような宣言をして、異邦人伝道へ舵を切り替えます。しかし、会堂管理者のクリスポは一家を上げて主を信じました。また、コリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けました。
このように働くにしても働かないで専念するにしても、重要なことは福音を語ることです。その務めは今日でも変わりません。 |