初代教会においても今日においても、教会の働きは、いわゆる教職者と信徒との協力が不可欠です。数から言って信徒の方が圧倒的に多いのですから、伝道・牧会において信徒の果たす役割は大きのです。今日はパウロとともに働いたプリスキュラとアクラ夫婦を見て行きましょう。
I. 家を開放して教会とし、伝道・牧会の拠点とした。
すでに見たように、パウロはコリントに1年半じっくりと腰を据え、ユダヤ人やコリント人に福音を語り、みことばを教えました。その拠点となったのはプリスキュラとアクラの家でした(2-3節)。やがてコリントの教会がしっかりと建って行くわけですが、その始めは彼ら夫婦の家だったのでしょう。その上パウロや恐らくシラスやテモテの世話もしたことでしょう。このように自らは働いて自分だけでなく、伝道者の働きを助けて、初代の福音の宣教のために陰において働いたのです。その後パウロとともにエペソに行きましたが、二人だけはエペソに残り(19節)、第3回伝道旅行でパウロがエペソにやって来たとき(AD53年頃)、彼を迎え、2年3ヶ月に及ぶパウロの働きを支えたと考えられます(19:1、8-10)。パウロは、このエペソからコリントへ手紙を書いているのです(Iコリント16:19)。
II. 自ら聖書に精通し、伝道者にさえ教えた。
プリスキュラとアクラがエペソにいたとき、伝道者アポロがやって来ました。彼は(旧約)聖書に通じ、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えを受けていましたが、ただヨハネのバプテスマしか知りませんでした(24-25節)。今日の私たちが受けている聖霊のバプテスマを知らず、また受けていなかったのです。つまりイエス・キリストの十字架と復活のみわざもまだよく知らなかったようで、霊的な洞察力のある二人は、会堂でのアポロの話しを聞いて、彼を招き入れ、「神の道をもっと正確に説明した」のです(26節)。このように主イエスの救いのみわざのすべてを詳しく教えられて、アポロは聖霊をいただいたキリスト者になったのでしょう。だから、彼のその後の働きは、以前のものに比べてもっとずっと実りの多いものになったに違いありません。このようにプリスキュラとアクラは文字通りに信徒伝道者でした。彼らは後にローマに帰り、再び家の教会を主宰しますが(ローマ16:3-6)、そのいわば責任者として信仰的にも知識的にも聖書の教えに精通していることが求められますし、彼らは十分にその資格があったのです。
この夫婦は、すでに述べたエペソの時代に(AD53〜56年頃)、パウロと生活を共にしたり、彼に同行したりして、伝道を助け、「自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです」(ローマ16:4)。彼らはパウロを生涯支え続け、助けたすばらしい信徒伝道者でした(IIテモテ4:9)。 |