私たちは、主エスを救い主と信じたとき、聖霊を受けます。その初めて受ける聖霊を特に「聖霊のバプテスマ」と呼ぶと考えられます。その約束は主イエスが昇天を前にしてはっきりと言われ(使徒1:4-5)、その通りペンテコステの時に実現しました(2:1-4、16-21、33)。この初めて聖霊を受けるという出来事は、これまでだれも経験してことがないので、それにはしるし(異言や預言など)が伴いました(2:1-4、8:4-8、14-17、10:44-48)。すでに述べて来たことですが、聖霊のバプテスマを受ける時にしるしが伴い、またその事実を述べているのは、初代教会の歴史の中で過渡的な時期に当てはまります。今日取り上げるところも典型的な出来事ではなく、過渡的な時期に起きた出来事と考えるべきです。
I. エペソの弟子たちは「ヨハネのバプテスマ」しか受けていなかった。
パウロが奥地を通ってエペソに来たとき、12人ほどの弟子に出会いました。彼が「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えました(2節)。聖霊の与えられていないクリスチャンがいるはずがないわけで、さらにパウロの質問に答えたことからわかったのは、彼らは「ヨハネのバプテスマ」しか受けていなかったのです(3節)。彼らはアポロの弟子だったと思われます。アポロが「ヨハネのバプテスマ」しか知らない時に、しかしイエスのことを大胆に宣べ伝え、イエスを信じた弟子たちは、同じように「ヨハネのバプテスマ」を受けたわけです。彼らは、パウロから悔い改めのバプテスマを授けたヨハネと主イエスとの違いを教えられました(4節)。このように、いわばバプテスマのヨハネの弟子という人たちが存在していたのは、極めて稀なことで、やはり過渡的な時期の出来事と言えます。
II. エペソの弟子たちは「主イエスの御名によるバプテスマ」を受けた。
パウロから福音の中心である主イエスの十字架と復活、ペンテコステと聖霊の降臨についてはっきりと教えられて、エペソの弟子たちは主イエスを救い主と信じ、主イエスの御名によってバプテスマを受けました(5節)。そしてパウロが彼らの上に手を置いたとき、彼らは初めて聖霊を受けました。彼らが聖霊を受けたとき、使徒たちやサマリヤの人々やコルネリオたちと同じように、異言や預言のしるしが伴いました(6節)。だから彼らもまた、主イエスが約束された「聖霊のバプテスマ」を受けた、と言えるのです。このように水のバプテスマと聖霊を受けることとの間に時間的なギャップがあるのは、使徒の時代だけです。しかも、4つの例しかありません。みな、過渡的な時期の典型的でない出来事です。現在の私たちは、初代教会の多くの弟子たちと同じように、主イエスを信じたとき聖霊、すなわち「聖霊のバプテスマ」を受けるのです(Iコリント12:3)。 |