この世の中には様々な宗教があって、それらが仕事と深く関わっている場合があります。わが国においては、例えば伊勢神宮や出雲大社がそれを取り巻く大勢の人たちの仕事や生活と密接なつながりがあり、彼らはこの偶像の宮との関わりで生活していると言えます。しかし、この宗教と仕事との関わりは、すでに使徒時代に見ることができます。パウロの宣教が及ぼした少なくない影響を見てみましょう。
I. 偶像は仕事をもたらすから有益か。
パウロが現在のトルコ地方の有力な都市、エペソで伝道していたとき、大きな騒動が持ち上がりました。それは、アルテミス神殿の模型作りで生計を立てている銀細工人と同業者や彼らが雇っている職人たちに関するものです。彼らの中の指導者デメテリオがみなを集めてパウロたちを非難したのです(25-27節)。エペソには古代世界における7不思議の1つ、アルテミスの神殿がありました。それは非常に壮大でアテネのパルテオン神殿より大きかったのです。彼らは、この神殿に祭られている大女神アルテミスのお陰で多額の収入を得ていましたが、パウロたちがやって来て、「手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせてる」と主張しました(26節)。確かにこの壮大で華麗、当時の建築術と美術の粋を極めた神殿は見る者を圧倒したかもしれません。しかし、パウロが宣べ伝えているのは、天地万物を造られた父なる神と救い主御子キリストの福音です。その前には、かくも偉大なるとみなされている大女神の御威光も地に落ちてしまうのです(27節)。
II. まことの神の救いにまさるものはない。
見た目にはどんなにすばらしい神殿であっても、また祭られている神々が有名であっても、それを拝む人々を救うことはできません。神々自身が人々の手によって造られ、守られなければ存在しないからです。また神々を拝んでも豊作や商売繁盛や幸せをもたらすことはありません。まして、罪からの救いと永遠のいのちを約束することはできません。だから、そのような偶像との関わりで商売をし金儲けをし、生計を立てる事自体がそもそも間違いなのです。しかしながら、まことの神様を信じていない人たちに、その仕事だけを止めさせても意味がありません。彼らがキリストを受け入れることをまず勧めるべきです。彼らが主イエスを信じるならば、当然偶像に関わる仕事から全く偶像と関わりのない別な仕事に換えて行くでしょう。たといその仕事が前の仕事ほど儲からなくても、彼は喜んでその仕事に励むことでしょう。主は神を畏れる人たちの生業(なりわい)を祝福し、その家族の幸せを保証して来ました。「今日のみことば」(詩篇128:1〜2)のとおりです。主は私たちの手を祝福してくださるのです。 |