パウロを初め、使徒と呼ばれる働き人がその使命を全うして、人生を終えることはむしろ当然と考えられるかも知れません。何しろ主イエスが使徒として任命したのですから。しかし、それは決して生易しいことではなかったでしょう。彼らの長い人生の中には、数々の困難や試練や誘惑があったでしょうから。ご一緒にパウロから学びましょう。
I. 試練の中で最後まで主に仕える。
少し前に、パウロたちはエペソでの大騒動に巻き込まれました。それは彼らにとっていのちの危険を伴うものでした。実にパウロの伝道旅行は、第1回から早くもユダヤ人の陰謀や迫害を伴うものでした。18〜19節で彼が言う通りです。パウロの最後の手紙 IIテモテ3:11で、第2回めからパウロに加わっているテモテも一緒に迫害や苦難を経験したと言っています。このように、ペテロもそうでしたが、使徒たちにとって、ユダヤ人や異邦人に福音を伝えること自体が大きな戦いでした。彼らが本当の安息を得るのは、使命を全うして主イエスの御元へ凱旋した時でしょう。それまでは、パウロは謙遜の限りを尽くして、次々に誕生して行った諸教会の兄弟姉妹たちに必要な神のことばを語り、益となることはためらわずに教え、主に仕えたのです(20節参照)。パウロにはこの後ローマへの旅が待っており、さらに数々の試練や困難に直面します。しかし、主は最後の最後までパウロを支え、導きました(II.テモテ4:6〜8)。
II. 福音を語る使命を全うする。
パウロが使徒として召された目的は、主として異邦人に福音を伝えることでした(9:15)。主にユダヤ人に宣教したのはペテロでした(ガラテヤ2:7〜8参照)。とはいえ、ユダヤ人であっても異邦人であっても、パウロの与えられた務めは、「ユダヤ人にもギリシャ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張した」ことです(21節)。ここでのギリシャ人は、異邦人の代表であることは言うまでもありません。ほとんど同じことを「今日のみことば」の24節でも語っています。彼の任務は「主イエスから受けた、神の福音をあかしする」ことでした。当然のことながら、福音を伝えることが未信者だけに限ることではありません。ミレトでのパウロのメッセージは、エペソの長老たちに対して語ったものでしたから、福音を語ることは同時に信者に対する建徳のメッセージでもありました(20節)。パウロは、最初から最後まで自分の果たすべき使命にぶれが生じませんでした。まさに一本の道を進んだと言えるでしょう。私たちもそのような生き方をしたいものです。 |