パウロたちは間もなくエルサレムを経由してアンテオケの教会に帰って行きます。使徒たちがどんなに諸教会を愛し、いつまでもそれらの教会にとどまって、牧会伝道に励みたいと思っても、許されない時がやって来ます。その時に備えてなすべきことは、有能な後継者に向後を託すことと、何よりもみことばそのものにゆだねることです。そうすれば、この二つが、群れを成長させてくれるでしょう。
I. 牧師たちが群れに気を配り、群れを守る。
パウロはエペソの長老たちに愛する群れの牧会を託します。この長老たちは、神の教会を牧するために(牧師としての働き)、聖霊によって、群れの監督として立てられたのです(28節)。初代教会においては、牧会する年長の者たちを、尊敬をこめて長老と呼びました(Iテモテ5:17、テトス1:5)。また、群れを管理し、治める働きをする者として監督とも呼びました。従って、この28節で明らかなように、当時、牧師は長老とも監督とも呼ばれたのです。長老たちは、凶暴な狼たちから群れを守らなければなりません。狼たちはもともと教会の群れの中にいましたが、いろいろ曲がったことを語って、弟子たちを主イエスへの信仰から引き離し、自分たちの方に引き込もうとします(30節)。今日の異端と言われる間違った教えです(Iヨハネ2:18-19、22-23参照)。エペソの長老たちは、そして今日の牧師たちは、このような間違った教えや反キリストから群れを守らなければなりません。そうして始めて、群れは健全に成長するのです。
II. 神とみことばそのものが群れを育成する。
パウロはまた、エペソの長老たちを神とその恵みのみことばとにゆだねます(32節)。パウロがこれまで直接して来たことを、これからは神ご自身とその恵みのみことばがまず、長老たちを成長させ、彼らによって解き明かされるみことばによって、群れの一人一人が成長するのです。こうして彼らは世の汚れから取り分けられ、聖なるものとされた人々とともに、天において約束された祝福(御国)を継ぐのです。みことばには力があります。みことばは聖霊とともに働いて魂を救い(ヤコブ1:21)、キリスト者たちを成長させ、救いを完成させます(Iペテロ2:2)。私たちは福音を聞き、主イエスを救い主と信じ、罪と死から救われ、神のみ前に義とされました。その私たちは、パウロが言ったように、聖書全体から神のご計画をすべて学ばなければなりません(27節)。これは中々できないことですが、聖書を少しずつ通読することです。例えば聖書同盟が毎月発行している『みことばの光』に従って聖書を読めば、4年間で聖書全体を通読できます。聖書全体を読むことによって、私たちは成長するのです。 |