礼拝説教

2009年9月6日

「御霊の示しと導き」
使徒の働き21章1〜14節

 私たちクリスチャンには、主イエスを救い主と信じた時から、聖霊の恵みが与えられています。聖霊はその後も私たちの傍らにおられ、また内に住んでくださって、私たちを正しい道に導いてくださいます。しかし、聖霊はまた、私たちに真理を教えたり、これから起きることをも示してくださいます。その多くは預言者に啓示されます。今日は聖霊の示しと導きについて聖書から学びましょう。

 I. 聖霊は将来のことを示します。
 パウロたち一行は、これからエルサレムに向かって船旅を続けます。間もなく第3回伝道旅行が終ります。エルサレムではすばらしい祝福がパウロを待っているでしょうか。いいえ、違います。途中ツロに上陸し、そこで弟子たちと7日間過ごしましたが、彼らは「御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した」のです(4節)。また、カイザリヤに着いて、伝道者ピリポの家に幾日か滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来て、パウロが、エルサレムでこのような苦難を受けると、聖霊がお告げになっていますと言いました(10-11節)。このように御霊の示しは、未来のことを示す場合がありますが、いつも喜ばしいものとは限らず、時には苦難や悲しみの示しもあります。新約時代に限っても、例えば幼子イエス様を宮で出迎えたシメオンは、聖霊によってイエス様に関する真理を語りました。そこには、主の十字架による救いと母マリヤの心の痛みも告げてられています(ルカ2:28〜35)。

 II. キリスト者は聖霊の導きに従う。
 パウロは、弟子たちや土地の人々がしきりにエルサレムに上らないようにと忠告し、また頼んだとき(4,12節)、彼らの忠告を受け入れ、彼らの頼みを聞いたでしょうか。否でした。パウロは次のように答えています。「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」(13節)。ここには主イエスの御心が何かが問われています。御霊は確かに迫害や苦難を予告します。しかし、それは、示しを受けたものが迫害や苦難を避けるためにだとは、言えません。むしろ予告をどう受け止め、これからどう進むのかが重要なのです。それは、主のみこころに従うことであり、御霊に導びかれて進むことです(ガラテヤ5:25)。パウロは、エルサレムに行って苦難を受けることが主イエスのみこころと確信しました。ちょうどゲッセマネの園で、主イエスが十字架にかかって死なれることが、御父のみこころと確信したのと同様です。クリスチャンは、時には、人間的には避けたいことでも、みこころのままに従うことが求められます。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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