礼拝説教

2009年10月11日

「主は信じた者を用いられる」
使徒の働き22章17〜30節

 私たちは、主イエスが選んでくださったので、救われました。同時に、救いだけにとどまらず、主のために確かな働きをするために、私たちは任命を受けました。ヨハネ15章16節で主イエスが言われたとおりです。パウロの場合も同様です。しかも彼は、救われる前はクリスチャンに対する迫害者でした。主はパウロをどのように用いられるのでしょうか。

 I. 主はかつての不法な者を用いられる。
 ダマスコ途上で、復活の主イエスに出会ったパウロは、アナニヤによって目が見えるようになり、悔い改めてバプテスマを受けました。彼の迫害者として犯した罪が赦されたのです。このように人は、過去にどんな罪を犯したとしても、主の十字架と復活のみわざが完成した今、確かに赦されるのです。同時にそれがこの世の犯罪となる場合は、世の法定でさばきを受ける事は避けられませんが。パウロは、救われた時が、新たな使命を受けた時でもありました。使命は、パウロがイエスについて見聞きしたことをすべての人にあかしすることであり、特に異邦人に福音を伝えることでした(15、21節)。主はパウロのすべてをご存知の上で、彼を用いたのです(19〜20節)。このようにすべて救いを与えられた者は、必ず主イエスのための働きが与えられます。これまでどんなに主から遠く離れていた者でも、主は私たちを用いてくださるのです。私たちがこれまで経験して来たことは、時には決してほめられたことでないのに、主は用いてくださるのです。

 II. 主はそれぞれの賜物や境遇を用いられる。
 パウロの弁明を聞いていたユダヤ人の民衆は、とうとう怒り出して、「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない」と言ってわめき立て、着物を放り投げました(22〜23節)。もはやパウロが群衆の前で話をするのは危険です。千人隊長は、事態をよく知ろうとして、パウロを縛り、むち打って取り調べるように命じました(24節)。ところがパウロが言ったことばは、千人隊長にも他の兵士たちにとっても驚くべきことでした。「ローマ市民である者を、裁判もかけずに、むち打ってよいのですか」(25節)。当時のローマ市民は政治に参加することや正規の手続きを経て、正当な裁判を受ける権利がありました。だから、裁判にもかけずにむち打つことは、してはならないことでした。もしも、パウロがローマの為政者たちに訴え出れば、千人隊長や部下はその責任を問われかねないことでした。彼らの驚きと恐れは、大変なものでした(26〜29節)。彼がローマ市民であることは、時には有利に働きます。しかも、福音の前進のためにも役立つならば、彼の立場をはっきり伝えます。私たちの場合も同じです。私たちがこれまで受けて来た学問や知識、技能、そして能力や賜物、さらに今ある地位や立場が主のあかしのために用いられるのです。「今日のみことば」を自分自身に当てはめて考えてみましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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