私たちは、これまでさまざまな出来事に遭遇し、時には危険な目に遭っています。しかし、そのような中で不思議に守られ、危険から脱する場合があります。クリスチャンになる前であっても、なってからも、神はご自分を現されずに、多くの人たちに働きかけて、私たちを守ってくださると、考えられます。パウロの場合を見てみましょう。
I. パウロの甥がユダヤ人たちの陰謀を知る。
パウロに対するユダヤ人の敵意は大きくなり、抑え切れないほどに燃え上がり、パウロを殺してしまうまでは飲み食いしないと誓い合う者たちが40人以上になりました(12〜13節)。彼らは具体的な計略を練り、祭司長たち、長老たちのところへ行って、それを打ち明け、陰謀に協力するように依頼します(15節)。祭司長たちは、反対する理由が全くないのですから、喜んで彼らのなすべき仕事を引き受けたことでしょう。しかし、神は(明示されていませんが)、パウロの甥が、その陰謀の一部始終を知るようにさせるのです。パウロの甥はー私たちはここで初めて彼のことを知るのですがーユダヤ人の指導者たちのごく身近にいて、しかも彼らからパウロとの関係を疑われていないことがわかります。また彼は、兵舎で厳重に警護されているパウロにも近づくことができました(16節)。このように主は、一見不思議と思われる人物を私たちの身近に遣わして、危険な状態から救ってくださることがあります。しかも、多くの場合、私たちはそれを後になってから知ることになります。
II. 千人隊長がカイザリヤまでパウロを護送する。
甥からユダヤ人たちの陰謀を知らされたパウロは、すぐに百人隊長の一人を呼んで、彼を千人隊長のところに連れて行ってくれるように依頼します。百人隊長は、甥を連れて千人隊長の所に連れて行き、パウロからの伝言を伝えます(18節)。千人隊長の取った態度は賢明であり(19節)、真相を詳しく知らされた彼の行動は、賢く且つ迅速でした(22〜24節)。ローマ市民であるパウロが適切な裁判を受けるのは、エルサレムの議会よりは、ユダや全体の統括者である総督のいるカイザリヤの法廷の方がベターと考えたのでした。そしてそれは、パウロの願いに近づき、最終的には主のご計画を実現するように進むのです。千人隊長も百人隊長も、神を知らず、神を恐れて生活している者ではないのですが、結局主のために、主のしもベパウロのために働いているのです。このように、主は多くのいわばこの世の人たちを用いて、神のしもべを守り、危険から救い、主のみわざの達成のために働かせるのです。主は、ご自分の愛する者たちを見放すことは決してありません。合わせて、「今日のみことば」の意味をよく考えてみましょう。 |