この世の中には、例えば政敵と呼ぶべき人たちを、どうしても有罪にして自分たちの前から除きたいと思っている人たちがいるでしょう。その場合には根拠がないうその証言をして、相手を陥れ、裁判官に有罪を認めてもらおうと画策します。残念ながら、世界の国々の中には、不正な裁判で有罪にされる人たちが跡を絶ちません。パウロの場合を見てみましょう。
I. 悪意ある訴えをして有罪にしようとする。
パウロが遠くカイザリヤに護送されて5日後に、大祭司アナ二ヤは、数人の長老とテルトロという弁護士といっしょにカイザリヤに下ってきて、パウロを総督に訴えました。弁護士と訳されていることばは、もともと雄弁家、演説家で、依頼人のために弁護したのです。テルトロは、ローマ人でローマ法にも精通していたので、総督の前で訴えるのには適人者とアナ二ヤは考えたのでしょう。彼は、雄弁家の名のごとく、巧みなことばで切り出し(2〜3節)、総督に好感を持たせる努力をしたようです。また世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人という一派の首領である、とローマ皇帝への反逆(ローマ法での騒乱罪)を企てていると訴えるのです(5節)。さらにおもむろに宮を汚そうとしたので彼を捕らえた(ユダヤ人の問題)、と言及します(6節)。このようにパウロに関する事実と全く異なることを敢えてつくり出して、訴状に仕立て上げるのです。今日でも故意に有罪にさせられる人たちが、世界の国々の中には、確かにいるのです。
II. 誠実に答えて真実を明らかにする。
パウロは、ローマの総督に対して事実を述べて、敵対者に対抗します。彼は、自分が宮でも会堂でも、また市内でも、誰かと論争したり、群衆を騒がせたりするのを誰も見た者はない、と言明します(12節)。そして、今彼らが訴えていることについて、彼らは証拠をあげることができないはず、と言います(13節)。さらにパウロは、ユダヤ人たちが異端と呼んでいるこの道(キリストの福音)に従って歩んでいる者で、律法にかなうことと、預言者たちが書いたことを全部信じている、とはっきりと弁明します(14節)。このように、パウロとユダヤ人は、同じ先祖の神を共有し、同じ律法を重んじているのです。さらに彼が陳述することも、律法にも反せず、宮を汚してもなく、騒ぎを起こしてもいず、非難すべきこともないのです(15〜20節)。ただ議会で「死者の復活云々」と叫んだので、議会は大騒ぎになったと言っています(21節、23:6以下参照)。騒いだのは、むしろユダヤ人の議会であり、群衆です。今日でも、このような場に立つことがあれば、私たちは誠実に応答し、真実のみを正確に語ることが求められるでしょう。また、「今日のみことば」と今日のメッセージとを照らし合わせて考えてみましょう。 |