今日のわが国では、意識的に不当な裁判を行うことはできません。裁判官を始め、検事や弁護士が訴訟事件の事実をゆがめ、最初から有罪にするように合い図ることは考えられません。しかし、パウロの場合は、彼を訴え出る祭司長や長老たちは、裁判官となる総督を説得し、裁判する場所を変えて、彼を移動させる時をねらって、殺害しようと図りました。よし、無事にパウロがエルサレムに移され、そこの議会で裁判が再開さてたとしても、裁判が公正に行なわれる保証は全くありません。彼はどのような行動を取ったのでしょうか。
I. 祭司長たちはパウロの罪状を申し立てる。
ペリクスに代わってフェストが総督になって、早くも動きがありました。州総督として着任した挨拶のためか、フェストは3日後にエルサレムに上りました。すると祭司長やユダヤ人のおもだった者たちが自分たちに好意を持ってくれるように頼み、パウロをエルサレムに呼び寄せていただきたいと願い出ました。これは、パウロを途中で待ち伏せして、殺害することが狙いだったことは言うまでもありません。フェストが、もしユダヤ人の全面的な歓心を買うことを願っていたなら、あるいは祭司長たちの願いを聞き入れていたかも知れません。しかし、彼は、間もなくカイザリヤに戻るから、「あなたがたのうちの有力な人たちが、私といっしょに下って行って、彼を告訴しなさい」と言いました(5節)。このように神を恐れない指導者でも、必ずしも悪に加担するわけではありません。恐らく首尾一貫していることはないにしても、時には正しいことも行ないます。だからこそ私たちは、この世の中で生きていられるのです(マタイ7:11参照)。
II. パウロは公正な裁判を求めて上訴する。
カイザリヤに下って行ったフェストともに、ユダヤ人たちも下って行き、フェストがパウロに出廷を命じた裁判席で、ユダヤ人たちは多くの思い罪状を申し立てました。しかし、それを証拠だてることはできませんでした。それはパウロが弁明した通りです(8節)。しかし、彼は無罪放免にはなりませんでした。フェストは、ユダヤ人の歓心を買おうとしてパウロに向かい、「あなたはエルサレムに上り、この事件について、私に前で裁判を受けることを願うか」と尋ねました(9節)。パウロはどうしたでしょうか。答えは、カイザルへの上訴でした。彼の正直な弁明の通りです(10〜11節)。ユダヤ人の歓心を買い、恐らく金銭をもらって正義を貫けそうもないフェストの下で、公正な裁判を期待することはできないでしょう。ローマの市民権を持っていたパウロには、カイザルに上訴する権利、公正な裁判への期待がありました。もちろん上訴には別な目的がありました。それは主イエスのお考え、ご計画です(23:11)。今日でも同じです。不正な裁判と分かっていたら、それを避けることです。少しでも公正な裁判が期待できれば、その道を進むことです。 |