本日、私たちはクリスマス礼拝をおささげできることを嬉しく思います。今朝はマタイの福音書からマリヤからお生まれになったイエス・キリストを3つの面から見て行きたいと思います。
I. 人として生まれ、私たちと同じようになられた方
主イエスは今から2005年前の誕生と一般に考えられますが、正確には紀元前4-6年ごろ、ユダヤのベツレヘムという小さな町でお生まれになりました。主イエスは歴史のだだ中に入ってこられ、確かに歴史上の人物としても存在されたお方です。主イエスのお誕生がどんなに重要な出来事かは、紀元前(B.C.)と紀元(A.D.)に歴史が二分されていることでもわかります。一般にイエスは四大聖人の一人に数えられていますが、主イエスは神が人となった唯一のお方です。それゆえ外見的には完全な人であり、私たち人間と区別がつかないこともありました(マタイ16:13-14参照)。しかし主イエスには罪はありません。罪のないお方が人となった理由は、十字架にかかって私たちの罪を取り除くためでした(ヨハネ1:29、ヘブル2:14-17)。
II. 王として生まれ、私たちを支配される方
マタイの福音書の書き出しが「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」で始まっているのは、大変重要なことです。主イエスは、ユダヤ人として、またダビデの家系を継承する王として、お生まれになりました。東方の博士たちが言った次のことばは正しかったのです。「ユダヤ人の王として、お生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」(2節)
ヘロデ王が調べさせて、民の祭司長たちや学者たちが答えた、6節のことばは、ミカ書5:2からの引用ですが、それは主イエスが人々を治める王としてお生まれになったととを明らかにしています。しかし最も大切なことは、主イエスが神の国の王として来られたことです。主イエスは神の国の王として主を信じる私たちを支配し、治めておられる方です。
III. 神として生まれ、礼拝されるべき方
東方の博士たちは、再び前に見た星に先導されて、幼子イエスのおられる家に入ることができ、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝みました(11節)。博士たちには、幼子がヘロデ王に代わる、だだのこの世の王ではなく、人々の魂を支配される王として、神として認め、信じ、畏れと喜びをもって心から礼拝したのでしょう。また、大きな犠牲を払い、危険な旅をして持ってきた、きわめて高価な宝物である黄金、乳香、没薬を宝の箱から取り出して贈り物としてささげました。私たちも神の御子としてお生まれになった救い主イエスさまに心からの礼拝をおささげしましょう。そして罪のないお方が人としてお生まれになり、贖いの小羊として犠牲になってくださったことを感謝し、王の王、主の主として喜んで従って行きましょう。 |