礼拝説教

2010年1月3日

「古い自分から新しい自分へ」
ローマ人への手紙6:1-14

 2009年は、アメリカ合衆国だけでなく、わが国においても変化の年であったと言えるでしょう。長い間続いてきた自民党政権が民主党の政権に変わりました。新しい政策が次々に打ち出されてきましたが、どのような効果を現すかはもうしばらく時間がかかるでしょう。さらに新年を迎えて、多くの人は変化を求めていることでしょう。しかし、私たちの性質や習慣は、新しい年になったからと言って、そうは変わるものではありません。でも、ものの考え方や生き方は確かに変わるのです。クリスチャンは主イエスを信じたとき、みな大なり小なりそのような経験をしています。それは主がしてくださるからです。今年の最初の礼拝で、この「変化」を考えてみましょう。

 I. キリストの十字架とともに古い自分が死んだ。
 私が誰かに洗礼を授けるとき、いつもローマ6章のこの箇所を読みます。それは霊的なそして実際のバプテスマの意味を良く説明している箇所だからです。それは同時に、私たちが主イエスを救い主と信じたときに、主がしてくださるすばらしい変化について説明している所でもあります。私たちが主イエスを信じたとき、私たちの古い自分はイエスの十字架とともに死んだことがわかります。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けました(3節)。私たちの古い人は、キリストとともに十字架につけられ、罪のからだが滅びて、私たちはもはやこれからは罪の奴隷で亡くなったのです(6節)。ここに私たちの全き変化、新しい出発の基盤があるのです。

 II.キリストの復活とともに新しい自分が始まる。
 私たちを罪と死とさばきから救う主の十字架の働きは、それに続く復活のみわざによって、私たちを新しい歩みへと導きます。かつての罪に満ちた古い自分は、キリストの死と結び合わされ、罪のからだが滅びて、罪から解放されました。同時にその人は、キリストのよみがえりのいのちにあずかって、キリストの復活とともに新しい歩みを始めるのです。このように私たちの死と新生はキリストの十字架と復活と深く関わっており、その真理を私たちが信仰によって受け入れることによって、すべての変化が始まります。私たちが受ける水のバプテスマは、以上のような死と新生という目に見えない真理を目に見える形で表したものなのです。
 新しい年、私たちはキリストにあって新しい出発ができることを信じましょう。なぜなら、私たちはキリストにあって、新しく造られた者だからです。古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなったのです。「今日のみことば」IIコリント5:17に書かれている通りです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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