今日は礼拝の中で「成人祝福式」を執り行いました。お二人が生まれてから二十歳の成人に達するまで、明らかに目に見える成長を遂げられたことは、誰でも認めることです。今日は、からだの面ではない知識や信仰の成長について、聖書から学びましょう。
I. 知恵と知識において成長する。
子どもが驚くような早さで知恵が進み、知識を増し加えて行くことは私たちがよく経験していることです。知恵は本来神さまから与えられるもので、日常的なものから芸術・科学・信仰の分野などあらゆる面での真理への深い洞察力と言えるでしょう。知恵は知識を増し加える時にも働くし、知識をさまざまな分野で応用するときにも働きます。クリスチャンは与えられた知恵を用いて父なる神と主イエス、聖霊についての知識をますます増やして行くことができます(エペソ4:13、IIペテロ3:18参照)。
II. 霊的・信仰的に成長する。
これは「恵み」においての成長と言えるでしょう。私たちは信仰生活を送っていく中で主イエスをさらに深く知り、恵みの数々を体験して行きます。その恵みは頭だけで知るのではなく、主に従っていく中で得られるすばらしい体験です(IIペテロ3:18)。親しい人が亡くなったとき、重い病気で苦しんだとき、親しい友人が去って行ったとき、職場での人間関係で悩んでいたとき、子育てで奮闘していたとき、私たちは主のお取り扱いを受け、慰め、励まし、時にはおしかりをいただいて、主の恵みを体験し、恵みにおいて成長して行くのです。
III. 判断力と決断力において成長する。
子どもと大人の違いは、自分自身で善悪や真偽を見分け、自らの力で物事を決断していけるかどうかでしょう。クリスチャンとしては、真の福音と偽の福音とを見分ける能力が求められます。「ものみの塔」や「統一協会」の人たちがあなたの家に来たときに、あなたは彼らがキリストを神であり救い主であると信じていないことを見分けなければなりません。彼らはキリストの十字架も復活も信じていません。彼らの間違った教えを見破り、確信をもってキリストの福音を語らなければなりません(エペソ4:14-15)。また人生のさまざまな問題に直面した時、成人なら面と向かって問題の解決に当たることができるでしょう。それが成人のしるしなのです。 |