大暴風に翻弄された14日間でしたが、神の助けにより、一行は無事に陸に上がりました。大勢の未信者と言われる中で、使徒パウロの果たした役割は決して小さくはありませんでした。主からのおことばをもってみんなを励まし、責任者である百人隊長が正しい行動をするように導きました。こうして彼らがたどり着いたのは、マルタ島であることがわかりました。ここでもパウロは率先して働いています。
I. 神の助けによって害を受けず、病む人々をいやしている。
マルタ島の人々は、パウロたちに対し、非常に親切にしてくれて、びしょぬれになってたどり着いた一行に火をたいて、もてなしてくれました。パウロは率先して柴を持って来ては火を焚いていましたが、熱気のために一匹のまむしがはい出して来て、パウロの手に取り付きました。島の人々は、まむしがパウロの手から下がっているのを見て、「この人はきっと人殺しだ。・・・正義の女神がこの人を生かしておかないのだ」と言って、今にもはれ上がって来るか、倒れて急死するだろうと待っていました(4、6節)。しかし、彼はまむしを火の中に振り落として、何の害も受けなかったのです。すると今度は、パウロを「神さまだ」と言い出す始末です。島の首長はパウロたちを招待して、三日間手厚くもてなしてくれました。たまたま彼の父が熱病と下痢とで床についていましたが、パウロは祈ってから、彼の上に手をおいて直してやりました。それからは、島のほかの病人たちも来て直してもらいました。神は使徒パウロをまむしから助け、同時に彼を用いていやしのみわざを行ないました。この島でもパウロの果たした役割は大きいものでした。
II. 一般の人々から尊敬される。
パウロは、すでに航海中の船の中で百人隊長やほかの人たちから尊敬されていました。このマルタ島においてもパウロやルカやほかの同行者たちは、人々から非常に尊敬され、彼らが出帆するときには、必要な品々を用意してくれたのです。パウロは島のぽかの所からやって来た病人をいやし、医者のルカは恐らく、手厚い看護をしていたので、島の人々はパウロたちを心から尊敬するようになったのでしょう。
キリスト者は主から恵みを与えられていると言えます。絶望的な状況に陥っても、そこにおいて神の助けを叫び求めることができますし、失望落胆している人たちを励ますことができます。また、常に受けるよりは与えることの幸いを知っている者として、率先して人々に尽くすことができます。恐らく、この世の人たちはこういうキリスト者の考えや生き方そして具体的な行動を見て、尊敬するようになると思われます。尊敬されること求めるのではなく、結果的に尊敬される生き方をしたいものです(「今日のみことば」参照)。 |