使徒の働きをずっと学んで来ました。著者のルカは、パウロがローマで暮らした2年間の生活と福音宣教の働きをわずか数節でまとめています。ユダヤ人の重立った人たちも含めて、大勢の人たちがパウロの宿にやって来ました。パウロは、朝から晩まで彼らに神の国のことをあかしし、彼らを説得しようとしました。
I. 福音に応答し、主イエスを信じる人たちがいる。
ユダヤ人にとっての大きな問題は、神の国はこの世の国であって、メシヤは同胞ユダヤ人たちをローマの支配から解放する英雄と考えていたことです。しかし、イエスがメシヤ=キリスト=救い主として来られたのは、ご自分が王として支配する、天の御国、「神の国」を実現することでした。それはモーセの律法と預言者たちの書に預言されており、ナザレのイエスにおいて成就した、とパウロはユダヤ人たちに説得しようとしたのです。ある人たちは彼の語ることを信じました。すでに見て来たように、ペンテコステにペテロの説教を聞いて悔い改め、イエスをキリストと信じた3000人は、みなユダヤ人でした。しかし、多くのユダヤ人は、イエスをメシヤと信じないで、なお別なメシヤを待ち望んでいます。パウロは、伝道生涯の途中から重点をユダヤ人から異邦人へ転換しました(13:46〜48)。パウロの伝道旅行で訪れたのは、みな異邦人の住むアジヤとヨーロッパの国々でした。そこではユダヤ人も信じましたが、より多くの人たちは異邦人でした。
II. 福音に応答せず、主イエスを信じない人たちがいる。
上記の図式はローマにおいても変わっていません。ユダヤ人の中でパウロの話に応答し、主イエスを信じる人はそれほど多くはなく、信じない人の方が多かったのです。彼らは互いの意見が一致しなかったので、パウロはイザヤ書6章から引用し、彼らの信じない状態は、イザヤが語った預言の通りであると言いました。26〜27節が明らかにしているように、イザヤがこの民のところに行って告げるように主から命じられたのは、彼らの鈍い心、遠い耳、つぶっている目のゆえに、彼らは神のことばを受け入れない、神に立ち返っていやされることがない、ということでした。先入観や偏見があったり、憎しみがあったりするとその人の話を素直な気持ちで聞きませんし、聞いて理解しようとしません。パウロは、このローマでも、神の救いは異邦人に送られ、彼らは耳を傾けるでしょうと言いました。彼は満2年の間、自費で借りた家に住み、監視付きで鎖につながれて、自らは外に出かけることはできませんが、訪ねて来る人をみな迎えて、大胆に少しの妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエスのことを教えました。昔と同じように今も、福音に耳を傾け、主イエスを信じて救われる人たちは幸いです。 |