礼拝説教

2010年3月21日

「(再び)あなたの居場所はどこですか」
ルカの福音書15章11〜32節

 あなたは自分の「居場所」について考えたことがありますか。恐らくあなたは自分を意識する年齢になった頃から、自分の居場所について考えて来たはずです。居場所の問題は、グループの中で、あなたがそこにいて居心地がいいと感じているか、悪いと感じているか、幸せと思えるか、そう思えないか、が鍵となります。今日は私たちがよく知っている「放蕩息子」のお話から居場所のことを考えて見ましょう。

 I. 「放蕩息子」は父の家に自分の居場所がないと思っていました。
 ふたり息子の弟の方は、おとうさんと一緒に住んでいたとき、なに不自由のない生活をしていたに違いありません。しかし、自分勝手にできないので窮屈と思ったのでしょう。おとうさんの家には自分の居場所はないと思いました。おとうさんにお願いして、前もって財産の分け前をもらいました。お兄さんの分け前の半分でしたが、決して小さな額ではなかったはずです。間もなく弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立ってしまいました。おとうさんの手の届かないところに行けば、お金も自由に使えるので、愉快な友だちもすぐできるから、きっと楽しい生活ができると考えたに違いありません。弟は、遠い異国の町で持って来たお金を悪い遊びのためにどんどん使って、なくなってしまいました。すると、今までちやほやしてくれていた友だちはみな、彼から去ってしましました。悪い友だちとのグループの中には本当の居場所はなかったのです。

 II. 「放蕩息子」は父の家に自分の居場所があることに気がつきました。
 何もかも使い果たし、その地にききんが起きて、食べることにも事欠いた弟は、雇われて豚の世話をさせられました。ユダヤ人には豚は汚れた動物だから、豚の世話をさせられることは、実に恥ずかしいことでした。豚のえさでおなかを満たしたと思っていたとき、ふと我に返りました。おとうさんの家を思い出したのです。「おとうさんのところには、雇い人でさえあり余るほどのパンがあるのに、自分はここで飢え死にしそうだ。そうだ、おとうさんのところに帰ろう。そして神様とおとうさんにおわびをしよう。」そう決心した息子は父の家に帰って行きました。彼が自分の罪をみな言わないうちに、おとうさんは息子を受け入れ、家でお祝いの宴会をしてくれました。彼の居場所は父の家にあったのです。息子はおとうさんから本当に愛されていることに気がつき、お兄さんを除き、家の者たちからも受け入れられました。もうひとりぼっちではありません。彼は自分の「居場所」を再発見したのです。
 一方お兄さんの居場所は、父の家だったのでしょうか。彼は、自分が長男として父の家にいるのは当然と考えていました。しかし、彼は幸せに感じていなかったようです。父に対する感謝と弟に対する優しさに欠けていました。彼の本当の居場所は父の家のなかったようです。では、どうすればいいとお思いますか。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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