礼拝説教

2010年4月25日

「愛する教会のための祈り」
ピリピ人への手紙 1章9〜11節

 私たちは毎週教会に来て、御父と御子イエスに礼拝をささげています。礼拝の中で主に3つの祈りをします。これは公の祈りで、教会の兄弟姉妹を代表しての祈りと言えます。その他に、家に帰って個人的に祈る祈りがあります。そのどちらの祈りも大切で、互いに補い合っていると言えるでしょう。今日学ぶパウロの祈りは、公の祈りです。しかし、それは私たち一人一人に向けられたもので、非常に格調の高いものです。

 I. あなたがたの愛がいよいよ豊かになるように。
 ここでのパウロの祈りは、大きく二つに分けられます。その一つは9〜10節前半の祈りです。ここでパウロは、何よりもピリピの人たちの愛がいよいよ豊かになるように祈っています。神の愛が教会の一人一人の中で豊かになることは本当に大切なことです。しかし、そこに制限と言うか、枠が必要です。それは「真の知識」と「あらゆる識別力」の二つです。「真の知識」とは、神に関する完全で深い知識と言えるでしょう。「あらゆる識別力」とは、霊的知覚力、道徳的判断力と言えるでしょう。信者の愛がますます豊かになることによって、物事を明確に知覚し、正確に判断でるようになるのです。こうして最終目標は「真にすぐれたものを見分けることができるようになること」です。世の中にはさまざまな価値観があり、人々によって大切なものに違いがあるでしょう。しかし、神の目から見て「真にすぐれたもの」を自分も見分けることができるならば、こんなに素晴らしいことはありません。

 II. あなたがたが純真で非難されることがないように。
 パウロのもう一つの祈りは、10節後半から11節にある祈りです。これはキリスト者が、キリストの再臨の日に(あるいは、キリストの再臨の日のために)、「純真で」すなわち、純粋で、きれいで汚されていないと診断されるように、と祈り、「非難されるところがない」すなわち、傷ついていず完全だから、非難されないことが明らかになるように、と祈っています。このようになるためには毎日の生活が祝されて、キリストによって与えられる義の実に満たされている者となっていることが大切です。そうして最終的には神の御栄と誉れが現されるようになります。言い換えれば、神の御栄と誉れが現されるようになることが祈りの最終目標でもあります。私たちは、パウロの祈りのような生き方が求められています。毎日の生活で私たちがどのように生きているかが、キリストの再臨の時に、評価されるのです。私たちはパウロの格調の高い祈りに答えられるような生き方をしたいものです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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