礼拝説教

2010年5月9日

「母は心に留め、見守る」
ルカ2:41〜52、ヨハネ19:23〜27

 今日は母の日です。これは今から約100年前にアメリカは東部のマサチュセッツ州のとある小さな町で始まった行事です。その町の教会で26年間も日曜学校の先生をして、亡くなったクララ・ジャービズという婦人の追悼会に、娘のアンナがお母さんを偲び、お母さんの愛に感謝を表すために、1箱のカーネーションを会場に飾りました。これは列席した人々に深い感銘を与え、やがてクリスチャンのデパート店主がこれを知ることとなり、5月の第2日曜日に店頭で盛大な「母の日」の記念会を催しました。これが次第にアメリカの各地に、また世界の国々に広まることとなりました。わが国では1923(大正12)年に最初の母の日が行われました。今朝は、母マリヤの主イエスに対する思いを中心に学びましょう。

 I. マリヤはわが子イエスのことを心に留めていた。
 処女マリヤが、聖霊によって身ごもり、救い主であるイエスを出産してことは、これまで誰も経験したことのないことでした。出産までの不思議な出来事、イエスが誕生した時の数奇な数々の出来事、それらをマリヤはどう受け止めていたのでしょうか。すべてを信仰をもって受け入れたと思われます。同時に、他の人たちに詳しく語ったりしませんでした。マリヤにふさわしい表現は、「しかし、マリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思い巡らしていた」(2:19)ということばです。これは、イエスの誕生のできごとと特に羊飼いについての出来事を、マリヤがどう受け止めたかを表している箇所です。また、イエスが12歳のとき、両親とともにエルサレムに上って行かれた時の大きな出来事もありました。その時も、「母はこれらのことをみな、心に留めておいた」のです(2:51)。母マリヤは、救い主として働き始めた後も、ずっと主イエスに関するすべてのことをみな、心の留め、心に納めていたのでしょう。

 II. マリヤはわが子イエスの最期を見守った。
 イエスが十字架につけられて、死なれた様子は、4つの福音書にそれぞれ強調点に違いを見せながら、簡潔に書かれています。イエスを最期まで見守ったのは、弟子のヨハネを除いて、母マリヤを含めて女たちでした(ルカ23:49、ヨハネ19:25〜26)。4人の名前が記されている女性たちは、みなイエスの近くにいて、最期の息を引き取るまで見守りました。マリヤは母親として、どれほどつらく、悲しく、胸が張り裂ける思いだったことでしょう。しかし、母として、これまでずっとイエスを受け入れ、信頼し、見守って来たマリヤは、ここでも、その態度は少しも変わりませんでした。主イエスは十字架の上で、愛する母を、これまた愛する弟子であるヨハネに託しました。ヨハネは、この時からマリヤを自分の家に引き取り、最期まで世話をしたはずです。このように、母親としてのマリヤの姿から私たちは、大切なことを学ぶことができます。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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