礼拝説教

2010年6月27日

「恐れおののいて
自分の救いの達成に務めなさい」 
ピリピ人への手紙2章12〜18節

 クリスチャンになって目指すべき目標は何でしょうか。聖書の知識が増し、信仰が強くなることでしょうか。確かにそれは素晴らしいことですが、違います。それは、救いの完成です。その完成の状態は、今日の聖書の箇所にはっきりと記されています。そのためには、私たちがしなければならないことがあります。今日は、この2点を聖書から学びましょう。

 I. すべてのことを、つぶやかずに行ないなさい。
 自分の救いの達成に務めることは、少しおかしいと思うでしょうか。救いは主イエスが与えてくださったものだし、完成させてくださる方も主のはずです(ピリピ1:6、ヘブル12:2参照)。しかし、救いの完成のためには、私たちの努力も必要です。実は、神はすべてをご存知で、私たちがそのような志を立て、事を行なうように働いてくださいます。私たちが志し、実行するのですが、志にも、実行にも主が働いてくださるのです(13節)。そのために必要なことは、私たちの生き方です。それは、すべてのことをつぶやかず、疑わずに行なうことです(14節)。神は、私たちのつぶやきや疑いを一番嫌われます。なぜなら、それらは不信仰、不従順から来るのですから。すべての事を行なうに当たって、それを喜んで行ないたいと思わない時には、主のみこころを行ないたいのでなく、自分の個人的な欲や願望を達成したいからでしょう。主の御前に静まって、祈り、反省する必要があるでしょう。

 II. 非難されるところのない純真な者、神の子どもとなるのです。
 私たちクリスチャンの目指す到達点は、極めて明白です。私たちがつぶやかず、従順に主に従い、自分の救いの達成に務めるのは、15〜16節にある通りに、邪悪な時代にあって、人々から非難されるところのない純真な者となり、いのちのことばをしっかりと握って、世の光として輝くためです。やがて主イエスが再びこの世においでになります(再臨)。そのとき、主イエスからお褒めのことばをいただければ、それは私たちが目指すべき到達点に達した、と言えるのです。パウロは、ピリピの人たちが、そのように成長することを願っています。そのために多くの愛の犠牲を払っています。彼らが成長するためには、たとい自分が迫害に遭って、死ぬようなことになっても、それは主への注ぎの供え物だから、喜ぶべきと言います。また、ピリピの人たちもともに喜んでくださいと言うのです(17〜18節)。私たちも救いの達成に務め、励みましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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