礼拝説教

2010年8月8日

「目標を目指して一心に走る」
ピリピ人への手紙 3章10〜16節

 赤ちゃんが成長し、子供になり、やがて大人になるなるように、クリスチャンも成長するでしょうか。その通りです。クリスチャンがいつまでも霊的赤ちゃんの状態に留まるはずがありません。パウロは成長を願ったでしょうか。その通りです。彼は普通の人の段階に満足しませんでした。今朝もパウロの生き方から学びましょう。

 I. どうにかしてキリストと同じようになりたい
 パウロの目標は極めて高い所を目指しています。この箇所ではそれは二つと考えられます。まず第1に、よみがえられたキリストの復活の力を力を知り、キリストの苦しみにもあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になることを求めています。キリスト者は、主イエスを信じたとき、同時にキリストの十字架の死と同じようにされ、キリストの復活とも同じようにされることを知っています(ローマ6:3〜5)。パウロはそれを徹底して求めました。彼は復活の力を与えられて、自己中心の性質(肉)が完全に死に、死者の中からの復活に----すなわち、霊的・道徳的に完全に高められて、自分の中にキリストの力が完全に表されることを願ったのです。これは大変な目標ですが、パウロはそのような高みを目指したのです。しかしながら、このような目標が、地上にいて達成されることは、不可能なことです。だから彼はこう言います。「私はすでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。」(12節)

 II.うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進む
 そして次の目標を目指すのです。それは、第1の目標と非常に関係のあることですが、十字架と復活と同じようにされる、いわば出発点から、さらにゴールを目指して、ひたすらに前向きに走ります。そのためには、まず、うしろのものを忘れなければなりません。それは、クリスチャンになる前の学歴や知識、特権、地位、誇りなどを指すでしょう。そして、クリスチャンになってからの数々の業績や実績、困難を乗り切ってきた経験、人々の賞賛などを指すでしょう。それらを一切忘れることです。パウロほど人間的な誇りを持つ人はいなかったでしょう。しかし、それらを忘れなければなりません。そして、ひたむきに前のものに向かって進むことです。それは具体的には主が与えてくださった使命に生きることでしょう。競技場でゴールを目指してひた走る競技者のように、パウロは前傾姿勢で主が与えてくださる栄冠を目指すのです。パウロだけでなく誰にでも主は与えてくださいます(IIテモテ4:5〜8参照)。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
静岡県富士市今泉2640-15 TEL&FAX:0545-52-6382