礼拝説教

2010年8月22日

「二つの国籍を持つ者として生きる」
ピリピ人への手紙 3章17〜21節

 私たち日本人が日本国籍を持っていることは当然ですが、普段はあまり意識していません。しかし、パスポートを取得したり、外国へ行ったりすれば、自分が日本人であることを強く意識することになります。同時に、キリストを信じている私たちは、天にも国籍があります。パウロが教えているのは、私たちがこの二つの国籍、市民権を正しく行使して生きることです。

 I. 地上の国籍を持つ者として生きる
 パウロは、この箇所で突然のように「兄弟たち。私を見ならう者になってください」(17節)と勧めます。それは、ピリピの教会に関わりのある人たちの中に、キリストの十字架の敵として歩んでいる者たちが大勢いるからです(18節)。彼らは、パウロがすでに指摘したように「犬、悪い働き人、肉体だけの割礼の者」であり、十字架と復活を信じて救われているという確信がなく、異邦人に割礼や律法を守ることを強要する人たちです。彼らの生き方は、欲望のままに、恥の多い生活をし、思いは地上のことだけです。十字架の敵として歩むならば、救いにあずかれず、贖いのみわざを完成された主イエスがおられる天に目を向けることもしません。彼らの最後は滅びなのです。彼らのような生き方をせず、パウロに見習い、パウロを見習って歩んでいる人たちに目を留めて生きなければなりません。それが地上に国籍を持った者の責任であり、務めです。

 II. 天に国籍を持つ者として生きる
 キリスト者の本当の国籍は、天にあります。イエスを救い主として信じた者は、罪が赦され、永遠のいのちが与えられ、天の御国に行くことができます。だから、キリスト者は天に国籍があると言えるのです。私たちは、常に目を天に向け、主イエスが再びおいでになるのを待ち望んでいます(20節)。そのとき、パウロが切に望んだように、主イエスは、私たちの卑しいからだを、ご自身と同じ
栄光のからだに変えてくださいます。それは、「万物をご自身に従わせることのできる御力」によるのです(21節)。このような栄光に富んだ希望を与えられた私たちが、それにふさわしい生き方をするのは、同然のことです。それは必要な衣食住を与えられていることを感謝しながら、地上のものだけに目を留めたり、支配されたりせずに、それぞれに与えられた賜物を用いて、与えられた務めを果たし、示された使命に生きることです。天に国籍を持つ者として、地上での務めを果たす生き方ができるのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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