礼拝説教

2010年10月03日

「教会の賜物のゆえに神に感謝する」
コリント人への手紙 第一 1章1〜9節

 今日からコリント人への第一の手紙を取り上げて行きます。コリントというギリシヤ南部にあった有力な教会について学ぶことは、今日の教会にとって有益な示唆が与えられると思います。いろいろな問題も持っていた教会なので、そこからも反面教師的な学びが出来ます。

 I. 教会には多くの賜物のある人たちがいた
 まずパウロは、コリントの教会に与えられた神の恵みを覚えて、神に感謝しています。彼らが、「ことばといい、知識といい、すべてにおいてキリストにあって、豊かなものとされたからです。」(5節)教会の賜物と奉仕については、この手紙の12章以下で詳しく学びますが、彼らには確かに豊かな賜物があったのです。「ことば」とは、話し方の賜物であり、宣教や教える働きに関係しているでしょう。「知識」とは、聖書全体の組織的な理解を指していると考えられます。コリント教会の兄弟姉妹たちは、パウロから福音をしっかりと受け止め,必要なときにキリストを証しし、福音を他の人たちに宣べ伝える賜物が与えられていました。また、聖書を教理的に理解する賜物も与えられ、それが彼らの信仰の成長に役立ち、また他の人たちに正しく教えることができたのでしょう。これらの賜物は,私たちの教会にも与えられているのです。それが教会学校で子どもたちに教えたり、様々なほかの賜物といっしょに多くの奉仕の場で生かされているのです。

 II. 教会の人たちは熱心にキリストの現れを待ち望んでいた
 さらに、パウロがコリントの教会のことを思い、神に感謝しているのは、彼らが熱心に主イエス・キリストの現れ(再臨)を待ち望んでいたことでした(7節)。これは一時的な思いというより、信仰生活を続ける中でずっと持ち続ける信仰ですから、当然のことながら、日常の生活が主に喜ばれるものとならなければなりません。パウロはそれを「主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められることのない者として、最後まで堅く保ってくださいます」と表現しています(8節)。その根拠は、神が真実な方だからであり、彼らが、「私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられ」たからです(9節)。私たちがイエスを救主しと信じ、その結果、主イエス・キリストとの交わりに入れられると、主の恵みによって私たちは信仰的に霊的に成長します。御霊の実にあずかり、きよい生活ができるように守られます。だからキリストの日に非難されず、おほめのことばをいただくことができるのです。パウロは,それらのことを思い、神に感謝しているのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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