礼拝説教

2010年11月21日

「いつまでも残る働き」
コリント人への手紙 第一 3章5〜15節

 教会には、毎週会員たちが集って、礼拝をささげています。同時に、牧師を中心としながら、それぞれに与えられた賜物を用いて、主のために奉仕の働きをします。その働きは尊いもので、主がよしと認めてくださって、いつまでも残るものとなるでしょう。しかし、時には、主がよしと認めてくださらないかも知れません。その働きはどうなるでしょう。

 I. いつまでも残る働き
 コリントの教会は、それぞれ指導者のもとに集まって分裂し、互いに争っていました。そこでパウロは、指導者たちの果たす役割について兄弟たちが正しく理解するように説明します。アポロやパウロは「あなたがたが信仰に入るために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。」(3節)パウロは「植える人」でした。すなわち、コリントの人々に初めて福音を伝へ、信仰を持った人たちと共に教会を建て上げた人です。一方、アポロは「水を注いだ人」でした。すなわち、みことばによって彼らの成長を助けた人です。しかし、本当に大切なのは、働き人ではなく、「成長させてくださる神」なのです。このようなパウロたち働き人の果たした役割はどう評価されるのでしょう。パウロは賢い建築のように土台を据えました。イエス・キリストという土台です。各人はその土台の上に建物を建てます。その材料が、金、銀、宝石であるなら、キリストの再臨の時に火によって真価が試されますが、その建物は残ります。彼らの働きはいつまでも残る価値ある働きだったからです。それは、信仰、希望、愛など、「永遠のいのち」に関わる働きだったのでしょう。

 II. 残らないが、本人が助かる働き
 他方、別な働き人は、木、草、わらで建物を建てました。キリストの日にその建物はどうなるでしょうか。火によって焼かれてしまい、建物は残りません。その人の働きは主から評価されなかったのです。しかし、その人自身は、「火の中をくぐるようにして助かります。」(15節)一体、草、木、わらを材料に建てる建物とはなんでしょうか。およそ考えられることは、その人は、聖書全体を正しく理解していないで、時には偏った説教をしたり、間違った聖書解釈をして、教会員たちの健全な成長を損なわせた責任を問われたことです。そのような働き人は、確かに正直で一所懸命に働いたと言えるでしょうが、主からは評価されないのです。「よくやった。良い忠実なしもべだ」と言っていただけません(マタイ25:21、23)。彼の働きは、永遠には残らないのです。しかし、彼自身の信仰は保たれ、彼は主の身許に行くことができます。さらに多くの教会員も牧師のもとで、それぞれの働きをしているのですから、残らない働きは、残念なことです。いつまでも残る働きをしたいですね。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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