礼拝説教

2011年1月2日

「主の労苦と私たちの刈り取り」
ヨハネの福音書 4章31〜38節

 イエス・キリストが私たちの救い主というメッセージが福音です。今年私たちは、できるだけ多くの人たちに福音を語りたいと思います。しかし私たちは、福音を語ることに少なくないためらいを感じてしまいます。福音をどう語ったらよいか自信がないことと聞いた相手がどう応答してくれるかわからない、というのが本音です。しかし、主イエスは、弟子たちにこれから福音伝道者として働くようになるための備えをしてくださいます。

 I. 主イエスは労苦して救いのみわざを成し遂げられた
 主イエスは、スカルの井戸のかたわらで、サマリヤの女に生ける水とそれを与えることのできるご自分が、来るべきメシヤ(キリスト)であることをはっきり示されました(13〜14、25〜26節)。一方、弟子たちは食物を買いに町へ出かけ、帰ってきました。「先生。召し上がってください」と弟子たちがお願いしたとき、主はこう言われました。「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」(34節)そのとおりに、主イエスは十字架と復活によって、救いのみわざを成し遂げられました。このためには、旧約時代の預言者たちの数々の労苦に満ちた働きがありました。弟子たちに主イエスは、サマリヤの緑の麦畑を見せながら、すでに霊的には魂の刈入れ時が始まっていることを教えられました(35〜36節)。主イエスのみわざはまだ完成していませんが、もうそのことも間もなく完成します(17:4)。「刈入時が来るまでに、まだ4ヶ月ある」と考えてはいけないのです(35節)。

 II. 弟子たち、私たちが主の労苦の実を刈り取る
 主イエスの十字架と復活による救いのみわざが完成した今、弟子たちが、そして私たちがしなければならないことは、刈り入れを待っている実を実際に刈り取ることです。弟子たちは、何かの労苦をしたでしょうか。実は何もしていないのです。主イエスが「わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました」と言われたとおりです(38節)。刈り取りの実を集めるとは、福音を語り、それを聞いた人たちが主イエスを信じて、永遠のいのちを得ることです。その時、蒔く者と刈る者がともに喜ぶのです(36節)。もちろん福音を語ることは決してやさしいことではありません。弟子たちは、主イエスのご命令を受けて、地の果てにまでも出かけて行って、様々な困難の中で宣教しました。しかし、それは主イエスと旧約の預言者労苦したこととは、質的に違うのです。もう救いのみわざは完成されているからです。私たちにも同じことが言えます。確かに多くのためらいがありますが、福音を語ることは、永遠のいのちに入れられる実を刈り取るための特権あずかることであることを、もう一度確認したいと思います。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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