礼拝説教

2011年3月27日

「 結婚、未婚、再婚」
コリント人への手紙 第一 7章36〜40節

 コリントの教会に結婚適齢期の女性や男性がいて、互いに愛しあって結婚する場合がありました。同時にもっと多かったことは、親が娘を結婚させるかどうか決める場合です。その場合、親の考え、意思が重要になります。パウロの考えを見てみましょう。

 I. 娘を結婚させる人は良いことをしている
 当時の結婚適齢期は、今よりずっと早かったでしょうから、自分の娘が婚期を過ぎようとしているなら、父親はきっと責任を感じたに違いありません。前にも取り上げたように、当時は主イエスの再臨が間もなく来ることをパウロは信じており、そうなればますます回りの人々による迫害や困難が予想されます。一番いいことは、現状のままにとどまることですが、娘を結婚させても、罪を犯すわけではないと、ここでも言います(36節)。困難が伴っても結婚生活が祝されれば、すばらしいことです。

 II. 娘を結婚させない人はもっと良いことをしている
 当時としては、自分の娘を結婚させないことは、勇気のいることでしょう。キリスト者として主の御前に祈りつつ決意したのなら、それは立派なことで、パウロは高く評価しています。やはり結婚し、子どもを産み、育てることに困難が予想される時代だからこそ、言えることで、必ずしも今日の事情とは違います。そのような事情なので「結婚させない人は、もっと良いことをしているのです」(38節)とパウロは言うのです。

 III. 再婚は夫が亡くなり、主にある相手なら許される
 結婚は、神が二人を結び合わせたのだから、人間の勝手な思いで、離婚することはみこころではありません(マタイ19:4〜7)。しかし、様々な理由で、離婚がなされ、従って、再婚問題も起きています。妻は夫が生きている間は、夫に縛られています(39節)。だから、たとい別れたとしても再婚は許されません(マタイ19:9参照)。しかし、夫が死んだなら、再婚はできます。その場合、相手も主を信じているキリスト者が条件です。そうでないと、二人の結婚生活は祝福されないでしょう。そして、全体としてもパウロの結論は、40節のとおりであり、「今日のみことば」(7:7)のとおりです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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