パウロの時代も今日も、福音を宣べ伝え、教会を建て上げるという働きは、働き人に必要な費用が与えられて、続けられて来ました。一方、自ら働いて生活の糧を得て、牧会伝道をする働き人も、2000の教会の歴史に、絶えることなく登場して来ました。パウロは、コリント教会の人たちとどのように関わったでしょうか。
I. 使徒パウロには生活を支えられる権利があった
パウロは第2回伝道旅行の時、コリントの人たちに初めて福音を宣べ伝えて、教会が発足し、次第に大きく発展して行きました。教会にはパウロを尊敬する人たちもいましたが、彼の使徒としての権威を疑う人たちもいました。確かにパウロは12弟子の一人ではありません。彼はダマスコ途上でよみがえりの主イエスにお会いし、使徒としての任命を受けました(使徒9:1〜18)。だから、明らかに使徒なのです。しかも、パウロの伝道で多くの人たちが救われ、教会員となりました(1節)。それゆえ、少なくとも、パウロはコリントの人たちにとって、「あなたがたは、主にあって、私が使徒であることの証印です」(2節)と主張できたのです。使徒ならば同然、使徒としての権利があります(4〜5節)。その権利を、日非常生活のあり方や旧約聖書の聖句から引用しています(6〜10節)。確かにパウロが言うように、御霊のものを蒔いたのであれば、物質的なものを刈り取ることが行き過ぎであるはずがありません(11節)。
II. 使徒パウロはこの権利を一つも用いなかった
パウロは他の人たち以上に、コリントの人たちの霊的成長に深く貢献してきたのですから、当然その権利を用いても良いはずでした(12節)。さらに、パウロは、旧約聖書の律法の教えから、宮に奉仕している者が宮の物を食べていることを明らかにします(13節)。そして主イエスは、福音を宣べ伝える者は、福音の働きから生活のささえを得るように定めれおられる(14節)、と言います。このようであれば、パウロがコリントの人たちから、生活の支えを受けつつ、牧会伝道の働きをしても、何ら非難される筋合いはないはずですが、事実は全く違いました。パウロたちは、使徒としての権利を一つも用いなかったのです。それは福音が妨げられないようにとの、パウロの配慮であり、同時にパウロの誇りでもありました(12,15)。さらにパウロにとって、福音を宣べ伝えることは、至上命令であり、伝えなければわざわいでさえあったのです(16節)。だから、パウロは「今日のみことば」にあるとおりに、結論づけているのです(18節)。十字架のことばを伝えることによって、人々は救いに入ることができます。それは私たちにも委ねられていることばです。 |