今年もイースターがやって来ました。私たちクリスチャンの先輩たちは、2000年間、このイースターの日に、イエスさまのよみがえりを記念し、喜びと感謝をもって主を礼拝し続けて来ました。イースターは、イエスさまのよみがえりという事実の上に成り立っています。もしイエスさまが本当に復活していなかったとしたら、初代教会が発足したでしょうか。こうして毎週日曜日に教会に集まって、礼拝をささげて来たでしょうか。恐らくとっくの昔に教会はなくなり、クリスチャンも地上からいなくなっていたことでしょう。だからイエスさまがよみがえった事実は大切です。
I. 主イエスは本当によみがえりました
週の初めの日、つまり日曜日の朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤは墓に来ました。ヨハネは彼女に焦点を合わせて書いていますが、他の女たちとイエスさまのからだに香油を塗るためでした。ところが墓に来てみて驚いたことに、墓から石が取りのけられて、墓の中はからっぽで、イエスさまのからだがありませんでした。マリヤは急いで走って、ペテロとヨハネに知らせました。この二人が走って墓に行き、その中を確認したところ、確かに墓の中には、イエスさまのからだに巻かれていた亜麻布と頭に巻かれていた布切れがあるだけでした。思慮深いヨハネは、マリヤのことば通り、イエスさまのからだがなかったことを信じました(7-8節)。マリヤは、弟子たちが墓から帰った後でなお墓に残り、何と、よみがえられたイエスさまに声をかけられたのです(15-16節)。マリヤはどんなに嬉しかったことでしょう。このようにイエスさまがよみがえられたことは、墓がからであったこととマリヤを初め弟子たちにご自身を現されたことで確信することができます。
II. 主のよみがえりにより、罪が赦されます
イエスさまが死にうち勝ってよみがえられたことにより、十字架によって私たちの罪が赦されることが証明されました。イエスさまが十字架にかかって死んでくださったことは、どんなに感謝しても、しすぎることはありません。しかし、イエスさまが死んで墓の中に葬られたままだったら、どうだったでしょうか。イエスさまは神様ではなく、ただの人間に過ぎなかったことになります。私たちを救うことができません。私たちは依然として罪の中にいることになります(Iコリント15:17参照)。しかし幸いなことに、イエスさまは本当によみがえりました。私たちの罪が赦されるのです。「今日のみことば」にあるとおりです。「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです」(ローマ4:25)。主はよみがえって、死に打ち勝ち、死を引き起こした罪の問題を解決してくださいました。心から喜びと感謝をもって今も生きておられる主に礼拝をおささげしましょう。 |