礼拝説教

2011年5月22日

「 戒めとしての過去の出来事」
コリント人への手紙 第一 10章1〜11節

 コリントの教会の中には、真の神への知識はあっても、信仰の弱い兄弟たちに対する愛がなく、高ぶっている人たちがいました。彼らは、その賜物と知識の豊かさを誇り、パウロの使徒としての権威さえも疑う人たちがいたほどです。パウロは彼らへの警告として、旧約聖書から出来事を提示して、事の重大さを説明しています。

 I. 主のみこころに叶わない人たちは滅ぼされた
 モーセという偉大な指導者のもとで、エジプトから脱出したイスラエルの民は、雲の下を通り、葦の海ないしは紅海という海を通って行きました。これはモーセにつく(全面的にモーセに従う)バプテスマ意味し(1〜2節)、キリスト者が受けるバプテスマの型です。そして天から降るマナを食べ、岩から出た水を飲みましたが、これは主イエスからいただく、霊的な恵み、いのちのパンと御霊の飲み物、すなわち聖餐式を示す型でもあります(3〜4節)。イスラエルの民は、そのような恵みに預かったにも関わらず、主のみこころにかなわず、大部分の人たちが荒野で滅ぼされてしまいました(5節)。「これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです」(6節)として、パウロは荒野での出来事をあげています。
第一に、「偶像礼拝者」は滅ぼされました。これは出エジプト記32章に出てくる金の子牛事件のことです。モーセがシナイ山で40日40夜主の御許で十戒を初め、数々の戒めを主から受けていたときに、モーセの帰りが遅いと、民はアロンを担いで、金の子牛を造らせたのです。その前で飲み食いし、踊った彼らのうち3千人が主に打たれて、倒れました(7節)。
第二に、姦淫した者が、一日に2万3千人死にました。これは民数記25章に出て来る出来事です。民はシティムといモアブの町で異教の娘たちとみだらなことをして、主の怒りを受けました。
第三に、主とモーセに逆らい、主を試みた多くの者が、べびにかまれて死に(民数21章)、主につぶやいた者たちは、滅ぼす者(み使い)に滅ぼされました(民数16章)。
 II. これらの出来事は戒めのためである
 11節、そして6節に記されている通りです。私たちも過去の出来事から、戒めとして受け止め、書かれたのは教訓として学ばなければなりません。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
静岡県富士市今泉2640-15 TEL&FAX:0545-52-6382