礼拝説教

2011年6月19日

「強い父親像は聖書的か」
「創世記12:1〜9、13:1〜13

 

 今日は「父の日」です。この日になると多くの人たちは、改めて自分の父親のことを考え、あるいは父親を思い起こすでしょう。その父親が自分にとって威厳があり、しかし優しく、頼りがいがあって、自分の進むべき道に何らかの良い指針を与えてくれる存在であれば、幸いです。でもその逆であっても、反面教師としての役割も果たしています。聖書には多くの父親が登場します。彼らを見るときに、様々な面で私たちに教えてくれる点が少なくありません。今日は、アブラハム(当時の名はアブラムでしたが)の父親像を見ていきましょう。

 I アブラハムは家長として家族を導いた
 アブラハムは、75歳の時、主のご命令によって、しばらく住み着いていたハランの地を出て、まだ見たこともない、カナンの地を目指して出て行きました(12:1〜4)。彼らの元々の故郷はカルデヤのウルでした。すべて主のご命令によるとはいえ、これは大変な決心のいることでした。しかし、彼には主に従うという信仰と一家をまとめ、連れて行く力があったのです。このように家族をまとめ、導くという務めは父親の果たすべき責任です。現在、家族の中で母親の発言力の大きさや、家族、特に子どもたちのことを考えると、父親が一家をまとめ、導くのはかなりむずかしいかも知れません。しかし、父親が主に従う姿勢を家族が見るときに、一家は父親の権威を認めて、ついて行くのではないでしょうか。

 II. アブラハムは家長として礼拝を導いた
 ある意味では、この務めが一番重要ではないかと思われます。アブラハムは、カナンの地に来て、まずシェケムのモレの樫の木のあるところまで来て、主のために祭壇を築き、次いでベテルの東にある山のほうに移動して天幕を張りました。かれはそこで主のために祭壇を築き、主の御名によって祈りました。その前に主は再び彼に現れて、以前の約束を再びくり返しておられます(12:7)。このように主を第一として、主に礼拝をささげる姿勢が、一家の長としての父親の重要な部分です。家族は父親の背後にある神に従うように導かれるからです。今日でもその重要性は変わっていません。

 III. アブラハムは家長として家族の問題を解決した
 アブラハムは家畜や銀と金など非常に富んでいました。それに一緒に行った甥のロトもまた、羊や牛などの群れ、天幕を所有しており、彼らが一緒に住むのには、この場所の広さは、十分ではありませんでした(13:1〜6)。そのうえ、アブラハムの家畜の牧者とロトの家畜の牧者との間に、争いが起こり、アブラハムはそのまま住み続けるのは良くないと判断しました。それで彼が提案したのは、両者が分かれて住むことでした。しかも、アブラハムは、家長であり年長者であるのに、甥のロトに最初の選択権を与えたのです(9節)。ロトが選んだ基準はあくまで土地が豊かであるかどうかで、近くに住む人たちの善し、悪しではありませんでした。そこに問題が残りましたが、家長としてアブラハムが取った方法に間違いはありませんでした。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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