礼拝説教

2011年7月10日

「男も女もふさわしい形で御前に出る」
コリント人への手紙 第一 11章1〜16節

 男は男らしく、女は女らしく、ということばは、昔の人たちは当たり前のように聞いていたことでしょう。しかし、最近は髪型にしても、服装にしても、ことば遣いにしても、男女が互いに接近しているように感じられます。今日は、コリントの教会を例にとって、主のみこころを知りたいと思います。

 I. 男はかぶりものを着けないで御前に出るべきである
 かぶりもののことで、コリントの教会に混乱があったようです。旧約聖書の時代からパウロの時代まで、男はかぶりものを着けないで外出し、女はかぶりものを着けて外出していました。しかし、コリントの教会で、恐らく、主の御前に救われれた者として、男女は平等であるという信念のもと、中には女がかぶりものを着けないで礼拝に出ていたようです。それをパウロは正そうとしました。男はかぶりものを着けるべきではありません。第一に、男が女の頭であるからです。かぶりものは、服従のしるしです。だから、男がかぶりものを着けて、祈りや預言をするなら、自分の頭をはずかしめることになるのです(4節)。第二に、男は神の似姿であり、神の栄光の現れだからであり、女は男の栄光の現れだからです。なぜなら、男が女をもとにして造られたのではなく、女が男をもとにして造られたからです(7〜8節)。また、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです(9節)。

 II. 女はかぶりものを着けて御前に出るべきである
 以上のように男と女の造られた次第から考えて、女は長い髪をして、しかもかぶりものを着けて礼拝に出て、祈りや預言をすべきなのです(5節)。かぶりものは服従のしるしであり、また、権威のしるしです(10節)。女がかぶりものを着けないで外出したり、礼拝に出たりするとすれば、それは普通の人ではなく、遊女や刑罰を受けた特別な人に限ります。だから、教会においても男と女が神のさだめた秩序ある姿・かたちで御前に出ることが主のみこころにかなうあり方です。髪の長さについて言えば、女の髪が長いのは、女の栄光であるからです。男が長い髪をしていたら、それは男として恥ずかしいことであり、髪の創造の秩序を破ることになります。また、髪の長さからいえば、古今東西、原則として女より男の髪が長かったことはなかったと考えられます。それは神が定めてくださった秩序を破ることになるからです。そして男らしさ、女らしさは、維持すべきであり、性はもとより、姿、かたちにおいて、決して混同すべきではなく、また取り違えるべきではありません(申命記22:5参照)。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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