礼拝説教

2011年8月21日

「からだの各器官は互いに必要な存在である」
コリント人への手紙 第一 12章14〜27節

 I. からだの各器官は互いに必要な存在である
 教会がキリストのからだであることから、からだにさまざまな器官があることとその互いの関係をよく知ることは大切です。パウロは、17節のように少しユーモラスに各器官の関係を描写しています。でもその前に彼は、「たとい足が『私は手ではないから、からだに属さない』と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません」(15節)と言い、続いて同じように耳と目との関係を述べています(16節)。これは、からだの各器官はそれぞれ異なっており、それゆえに必要な存在としてからだに備えられていることを強調しているのです。からだの各器官は、それぞれが勝手に求めて与えられたのでないことは明白で、「しかし、このとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです」(18節)とパウロが強調しているとおりです。「今日のみことば」(20〜21節)にあるように、私たちは、互いに異なった賜物を持った兄弟姉妹を必要としています。そして目立つ賜物と同様に目立たない賜物を尊び、尊重します。

 II. からだの各器官は互いにいたわり合う
 このように神様は、からだの中に各器官を備えてくださいましたが、すべてが必要な器官だからこそ与えてくださったのです。それもパウロが言うように、「からだの中で比較的に弱いとみられる器官が、かえってなくてはならないものなのです」(22節)。教会においても同様で、私たちの賜物の違いは、みな神が備えてくださったゆえに、違いがあり、しかも調和させてくださっているのです。からだの中に分裂がないように、教会においても分裂がなく、兄弟姉妹が互いにいたわり合います。教会の中の誰かが苦しめば、互いに苦しみ、教会の中の誰かが喜べば、みなが喜びます。私たちのからだを考えればよくわかります。からだの中の足を怪我して痛い時、からだ全体が痛く、苦しみます。だからこそあらゆる治療をして、怪我を直し、痛みを取り去ろうとします。回復した時、からだ全体で喜びます。教会についても全く同じです。互いにいたわり合い、互いに悲しみや喜びを分かち合うのです。それが教会です。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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