礼拝説教

2011年10月23日

「もしキリストの復活がなかったのなら」
コリント人への手紙 第一 15章12〜19節

 初代教会から2000年にわたって、世界各地の教会では、礼拝でメッセージが語られて来ました。そのメッセージの中心は、イエス・キリストが神の御子・救い主であることと主がなさった救いのみわざ、十字架と復活です。ですから、キリストがよみがえらなかったとしたら、メッセージは内容のないものになってしまいます。そして何よりも重要なことは、罪の赦しがなくなってしまうことです。ですから、もしキリストの復活がなかったのなら、次のようになってしまいます。

 I. 私たちは罪の赦しの根拠を失ってしまう
 キリストの十字架の死を否定する人はまずいません。主イエスが十字架にかかって死なれたことは、歴史的な事実だからです。しかし、真のキリスト者を除いてイエス・キリストの復活を信じる人はいません。ですから、イースターが国民的なお祭りにならないのです。しかし、キリストの復活は事実であり、クリスマスのイエスのご降誕と同様、救いのみわざの重要な要素の一つです。もし、キリストがよみがえらなかったのなら、キリストの十字架の死は、単なる犠牲的な愛の模範に過ぎず、主イエスは死んで墓の中に葬られたまま、そのからだは朽ち果ててしまったことになります。そうすると、主イエスを信じても罪が赦される根拠がなくなってしまいます。「今日のみことば」のとおり、「あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは、今もなお、自分の罪の中にいる」ことになります(19節)。しかし、事実イエスはよみがえられたので、信じる者は罪が赦されるのです(ローマ4:25参照)。

 II. パウロたちは偽証していることになる
 コリントの教会の兄弟たちの中に、死者の復活はない、と言っている人がいました。彼らの疑問に答える目的で、パウロはこの15章の長い箇所を書いたのです。「もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう」(13節)と論じる中で、キリストの復活の事実と重要性を説いています。その重要性のもう一つは、パウロたちが神について偽証した者ということになることです。確かに、「もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです」(15節)。パウロを含め、使徒たちがすべて、よみがえらなかったはずのキリストがよみがえった、と言いふらすのですから、これ以上の偽証はないでしょう。しかし、事実キリストはよみがえり、宣教の中心は十字架と復活であり、信仰による罪の赦しの宣言です。メッセージは信じるに十分値するものとなるのです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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