礼拝説教

2011年11月20日

「よみがえりと死への勝利」
コリント人への手紙 第一 15章50〜58節

 主イエス・キリストの再臨と私たちのからだのよみがえりについてこれまで学んで来ました。十字架と復活による救いもこの世の常識を超えるものですが、主の再臨と私たちのよみがえりも、この世の人たちの考えの及ばないものです。しかし、幸いなことに私たちは、信仰によって、すばらしい将来の救いの完成を仰ぎ見ることができるのです。

 I. 私たちはやがて一瞬にして変えられる
 キリストは、この世の終わりの時、大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って、み使いたちを従え、この地上に降りて来られます(マタイ24:30〜31参照)。その時、み使いたちのラッパの響きと共に、主に属する私たちは、一瞬のうちに死からよみがえります。私たちの朽ちるからだは、たちまち朽ちないからだに変えられます(52節)。朽ちるものが朽ちないものに変えられ、死ぬものが不死を着なければならないことは、すでに定まっています(53節)。これらのことは私たちの常識を超えたものであって、2000年もの長い間眠っているペテロやヨハネ、パウロやテモテも、つい最近天に召された先輩たちも、今生きている私たちも(やがて召されて眠りにつきますが)、みなともによみがえるのです。主イエスは、これまでの救い主としてではなく、栄光と威厳に満ちたさばき主としてこの世に来られます。しかしこれは、主にある者たちにとっては、喜びの日であり、救いの完成の日なのです。

 II. その時死は完全に勝利にのまれる
 死者の復活は、死に対する勝利です。これまでの人類がどうしても克服できなかったのは、死に対する完全な勝利でした。私たちの先祖のアダムとエバが罪を犯して以来、罪がこの世に入り、同時に全人類は死ななければなりませんでした(ローマ5:12)。しかし幸いなことに、死からよみがえられた主イエスを救い主と信じた者たちは、罪が赦され、永遠のいのちが与えられ、天国への希望により、死に対する恐怖から解放されたのです。それはすばらしい恵みです。しかし残念ながら、肉体的には死ななければなりませんでした。ところがキリストの再臨は、死とその原因である罪の力、さらに律法の問題を根本的に解決します。死からのよみがえりは、本当におどろくべき結果をもたらすのです。57節でパウロが神に感謝している通りです。
 このことを確信している私たちのなすべきことは何でしょうか。それは「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励む」ことです(58節)。そして私たちは、その労苦が主にあって無駄になることはないことを知っています。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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