神の御子であり、救い主である主イエスが、人となってこの世にお生まれになった目的を、マタイは、イエスに関する二つの名前によって説明しています。一つは「イエス」という名、もう一つは「インマヌエル」という名です。この2つの名前から、私たちはすばらしい神の恵みを知ることができるのです。
I. イエスは人々を罪から救うためにお生まれになった
救い主イエスの誕生に際しては、マリヤと婚約していたヨセフの協力が必要でした。二人がまだ結婚して一緒にならないうちに、マリヤが聖霊によって身重になったことがわかりました。もしマリヤが不品行によってみごもったとしたら、マリヤは姦淫の罪を犯したことになり、裁判にかけられ、きびしく罰せられることになります。ヨセフは律法を守る正しい人であり、同時にマリヤを心から愛していましたから、ヨセフの方から離縁状を渡して、こっそりと去らせようと決めました。彼がこのようなことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて、真実を明らかにし、妻マリヤを迎えるように命じました(20節)。21節にある「イエス」という名は、「主は救いなり」の意味です。主イエスは、この名の通り、「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」(21節)です。私たちは生まれながらの罪人で、神様のおきて(十戒がその代表です。出エジプト20:1-17参照)を守ることができません。主イエスはご自分の民(イスラエル民族とイエスを救い主と信じるすべての者)を罪から救い、永遠のいのちを与えるためにこの世にお生まれになったのです。
II. イエスは神が私たちと共にいてくださるためにお生まれになった
神であるお方がその尊い御位を捨てて、人となってこの世に来てくださったのは、イザヤがその700年も前に預言した預言が成就するためでした(23節、イザヤ7:14)。「インマヌエル」とは「神は私たちとともにおられる」の意味です。神は私たちから遠く離れ、あまりにきよく正しすぎて(事実そうなのですが、そのために)、近寄ることも、呼びかけることもできないお方のように感じられます。イエスさまがお生まれになったことにより、神様は私たちの直ぐ近くにおられるお方であること、それも私たちと同じような人間になって、私たちと共に生活してくださった方となりました。それゆえに私たちの悩みも悲しみも苦しみも痛みもすべてご存じで、それらをことごとく分かち合ってくださる方なのです。だから私たちは、恐れなく大胆に主イエスに近づき、私たちのあらゆる問題をそのまま申し上げることができます(ヘブル4:15-16参照)。主は私たちの祈り、願い、叫びに必ず耳を傾けてくださいます。主イエスを信じ、信頼して行きましょう。 |