今日からヨハネの福音書を取り上げ、学んで行きます。この学びを通して、説教を通して、私たちが主イエス・キリストがどのようなお方であるかをよく知り、救い主と信じ、生涯従って行きたいと心から願うようになれば、幸いです。
I 初めにことばがあった
1章1節のこの有名なことばは、多くの人たちが知っています。でもその真の意味を知っている人は少ないかも知れません。「初めに」ということばは、創世記1章1節と同じです。しかし、強調点に違いがあります。創世記は、神が天地万物を創造されたことを強調しているのに対し、ヨハネは、天地創造の前に、すでにイエスが存在しておられたと言っています。彼は、イエスが人となる前の姿を「ことば」で表現しています。私たちは、クリスマスの時に、イエスのご降誕の物語を読みますが、主イエスは、永遠の昔から存在しておられたことを改めて知るのです。
II. ことばは神とともにあった
主イエスは、人としてこの世に来られる前に、御父とともにおられたました。「ことば」は、御父と顔と顔を合わせて、しかし独立した存在として、かつ親しい人格的な交わりの中におられました。御父と御子との深い交わりは、この福音書が多くの箇所で明らかにしています(3:35、5:20、14:9〜11ほか)。この福音書を通して、私たちはイエスの御父との関係を少しずつ知ることになります。
III. ことばは神であった
1節に記された「神であった」という表現にも注意する必要があります。主イエスは、御父と同じように、神性をもっておられたのです。イエス様は神様です。私たちの救い主は、神様なので、私たちを救うことができるのです。そして、人としてこの世に来てくださいましたが、神はどういうお方かを、ご自身のお姿や、ご性質、ことば、なさったみわざによって明らかにしておられます。この学びを通して、私たちはイエス様のことがますますわかってくるのです。期待しながら学び続けましょう。 |