人にはそれぞれ使命が与えられていると言えますが、それをはっきりと自覚している人は、それほど多くないかも知れません。聖書に登場する大勢の人たちも今日の私たちと同じような人たちが多かったと言えるでしょう。その中で、バプテスマのヨハネは、生まれる前からその使命が与えられていました。それは救い主イエスをあかしすることでした。
I. ヨハネは光ではなかった
この福音書の著者は12弟子のひとり、ヤコブの兄弟ヨハネと信じられています。しかし、著者は自分の名前をわざと伏せています(21:24)。彼がヨハネと言う場合は必ずバプテスマのヨハネです。著者はヨハネについて、「彼は光ではなかった」(8節)と言っています。当然「まことの光」が予想されるわけですが、それは、すでに述べられているように、「人の光」、闇に打ち勝つ光である、受肉前の主イエスです。その方は9節で明らかにされている、世に来ようとしている「まことの光」です。しかしながら、ヨハネはただの人ではありません。彼は、神の救いのご計画の中で、使命を与えられてこの世に遣わされました。それは「あかし」のためです。しかし、彼はしばらくの間、「燃えて輝くともしび」(5:35)に過ぎません。その点では、私たちと同じです。私たちも、まことの光を受けて、しばらくの間、輝くともしびです。でも、光源であるまことの光を受けて輝くことができるのは、すばらしい特権です。キリスト者にその特権が与えられているのです。
II. ヨハネは光についてあかしした
ヨハネは、旧約最後の預言者です。彼は、主からの啓示を受けて、まだ会ってもいないのに、主イエスを初めて見た時に、この方が人すべての人のために十字架にかかって死に、救いの道を開いてくださる方とわかり、「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」と言ったのです(1:29)。また同時に、自分とキリストとの違いや「聖霊によってバプテスマを授ける方」であることを、神様によって知らされ、あかししています(1:26〜34)。この福音書の学びで次第に明らかになって行きますが、救い主を指し示し,あかしすることは、非常に大切です。ヨハネのあかしによって、すべての人が信じることになるからです(7節)。しかし、実際は人々の多くが、罪のために霊の眼が曇って、まことの神である主イエスを理解できず、信じることができません。でもほかのさまざまな証言とともにヨハネの証言・あかしは重要です(このことについては5章で学びます)。「あかし」ということでは、ヨハネと同様に私たちもその使命が与えられています。機会が与えられた時に、周りの人たちにイエスを救い主とあかししましょう。 |