多くの人は、教会に来始めた頃、父なる神様と御子イエス・キリストとの関係がよくわからなかった、という経験があるでしょう。しかし、次第にイエス様が信仰の中心にあるらしいとわかってきます。同時に御子の御父との関係もだんだんとわかって来ます。今日の聖書箇所も私たちに有益な知識を与えてくれます。
I. ことばは人となって、私たちの間に住まわれた
14節は、天におられた「ことば」が、処女マリヤの胎に宿った後、人としてこの世に生まれてくださったこととユダヤの地にしばらくの間住まわれたことを示しています。イエス様の家族や弟子たちは、イエスと一緒にしばらくの間生活を共にし、周りにいた人たちは主イエスのことをいろいろと見聞きすることができました。弟子たちは、このイエス様を見て、「この方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である」と証言しています。ですから、人となってこの世に来てくださった主イエスは、人でありながら神様の栄光を表しておられたのです。さらに、「この方は恵みとまことに満ちておられ」ました。恵みは、神が私たちをあわれんで、ご一方的に与えてくださる無償の恩恵であり、まことはうそ偽りのない真実・真理です。確かにイエス様は、神が人となってこの世に来られた方なのです。
II. この方は神がどういうお方かを解き明かされる
15節は、バプテスマのヨハネのイエスについての証言です。彼自身が主イエスとどんなに違うかをはっきりと説明しています。彼の証言は、きわめて重要です。なぜなら神から啓示を受けたので、彼の言うことは本当に真実だからです。弟子たちは、主イエスから「恵みの上にさらに恵みを受けました」(16節)。それはやがて主の十字架による救いが中心であることが明らかになります。モーセによて与えられた律法は、人々をイエス・キリストへ導く役割を果たしますが、彼らを罪に定めるだけです。恵みとまことは、イエス・キリストによって実現します(17節)。そして19節が重要な真理を明らかにしています。確かに「いまだかつて神を見た者はいない」のです。父なる神は、根源的なお方であり、その御姿を人々に現されません(6:46参照)。ただ主イエスだけが神を見ておられ、それを私たちに説き明かされるのです。ですから、イエス様をよく知ることが神様を知ることの重要な鍵なのです。イエス様のことをよく知ることができるように励みましょう。 |