礼拝説教

2012年3月11日

「バプテスマのヨハネとは誰か」
ヨハネの福音書1章19〜28節

 神の御子であり救い主であるイエス・キリストが公にお働きをはじめる前に、バプテスマのヨハネが荒野に現れて、教えを始めました。彼はらくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜で(マタイ3:1、4)、その風貌はエリヤに似ていました。それでユダヤ人たちは、祭司とレビ人をヨハネのもとに遣わして、あなたは一体誰ですか、と彼に直接尋ねさせたのです。

 I. 荒野で叫んでいる者の声である
 ヨハネは彼らのさまざまの質問に答えて、まず「私はキリストではありません」とはっきりと言いました(20節)。人々は、ヨハネが来るべきメシヤではないかと思っていたのです。次に、自分はエリヤでもないと言いました。人々は、風貌がエリヤに似ていたので、彼はエリヤの再来と思っていたのです。さらに「あの預言者でもない」とも言いました(21節)。人々は申命記18:15、18に出てくるモーセのような預言者がやがて来ることを期待していました。それがヨハネではないかと思ったのです。次々とユダヤ人の期待に反する答えをした後で、彼は自分を「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫んでる者の声です」と言いました。これが彼の本当の姿であり、遣わされた使命を示すことばです。彼は、主イエスが来られる前に、人々の心を悔い改めさせ、救い主を迎える備えをさせることが主たる役割だったのです。

 II. その方のくつのひもを解く値打ちもない
 以上の目的のために、ヨハネは、人々に悔い改めのバプテスマを授けていました(28節、マタイ3:11)。そのヨハネは自分と来たるべき方と比較すとき、「私はその方のくつのひもを解く値打ちもありません」と断言しているのです(27節)。確かに主イエスは、ヨハネより半年くらい後で生まれた方ですが、神の御子で、ヨハネは預言者であっても人間に過ぎませんから、しもべ以下なのです。所詮最初から比べることさえ、無理なのですが。このようなヨハネですが、人々に悔い改めのバプテスマを授けることと上からの啓示によって、イエスがどういう方かわかっていました(26節)。人々はヨハネによって初めて、自分たちがこれまでずっと待ち望んで来た救い主を見ることになるのです。主イエスは、(次週学ぶことになりますが)「聖霊によってバプテスマを授ける方」で、ヨハネの水のバプテスマと比較されます。水によるバプテスマは、人々に悔い改めを迫り、聖霊によるバプテスマは、信じる者を新しく生まれさせ、キリストのからだである教会の一部とされます。これはすばらしい主のみわざです。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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