私たちが誰かをよく知るためには、その人と友だちになり、時には深い交わりが必要になります。主イエスの本当のお姿を知るためには、さらに主に従って行き、主から教えられ、主と深い交わりが必要です。イエスの弟子たちは何を知ったのでしょう。
I. イエスは神の子であり、イスラエルの王である
すでにアンデレとペテロがイエスの弟子となりましたが、その翌日、今度は主イエスご自身がガリラヤに行こうとされて、ピリポを(捜して)見つけて、「わたしに従ってきなさい」と言われました(43節)。そしてピリポはすでに知っているナタナエルを見つけて言いました。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」(45節)このピリポのイエスについての紹介は、アンデレのことばを受けていて、イスラエル人の待ち望んでいたメシヤ=救い主のことです。しかし、ナタナエルはナザレと言うことばを聞いて、信じられなかったようです。でも、ピリポの「来て、そして、見なさい」(46節)の勧めに従いました。何よりも主イエスのところに来て見ることが大切です。主イエスは、ナタナエルを初めて見たのに、彼の本質を見抜き、さらに彼がいちじくの木の下にいるのを見たと言われ、「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」(49節)と告白しました。しかし、その深い意味は、彼が主に従って行く中で、さらに知ることになるのです。
II. イエスは世の罪を取り除く神の小羊である
主イエスは神の子であり、イスラエルの王ですが、私たちのために十字架にかかって死なれ、私たちの罪をすべて贖ってくださいました。バプテスマのヨハネがイエスを見て、先のあかしをしたのは(29節)、彼が啓示によって神からイエスの本当の姿を知らされていたからです。本来神の子ですから罪は一つもありません。御父からあらゆる権限と知識を与えられていたので、あのように真理を教えることができ、数々の奇蹟を行うことができたのです。また、今日は「しゅろの日曜日」です。この日、主イエスはイスラエルの王として、平和の主として、ロバの子に乗ってエルサレムに入城しました。ダビデの子孫としてイスラエルの王でもありますが、神の国の王としてこの世に来られ、イエスを信じる者の救い主であり、王であり、主なのです。この方が神の小羊として私たちの罪のために十字架にかかって、ほふられなければなりませんでした。あなたと私、そして全人類の罪を贖うためです。その事実をこころから受け入れ、主イエスを救い主と信じましょう。 |