礼拝説教

2012年5月13日

「天上のこと・地上のこと」
ヨハネの福音書3章9〜15節

 「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることができません」と、主イエスはユダヤ人の指導者ニコデモに語りました。人は新しく生まれると、神の子どもとなり、永遠のいのちがあたえられ、神の国に入ることができます。しかしながら、これはニコデモに理解しがたい真理でした。主イエスは、このことと十字架の救いのことを関連させてさらに説明されます。

 I. 地上のこと — 新らしく生まれること
 人が新しく生まれることは、理解しがたいことですが、主イエスはそれを御霊の働きによると説明し、ちょうど風の存在と似ていると言いました(8節)。確かに風は、目で見ることは出来ませんが、その音は聞こえます。どこから来てどこへ行くのかわかりませんが、風は確かに存在し、その働きをします。「風」、「御霊」、「霊」、「息」などと別々に訳される「プニューマ」を巧みに用いて、主は、新生のむずかしい働きを説明しておられます。このように、風の働きと似ている御霊の働きによって人は新しく生まれるのです。神様の働きですが、これは地上のことに属します。私たちが主イエスを救い主と信じるなら、私たちは聖霊によって新しく生まれるのです。

 II.天上のこと — 十字架による救いのみわざ
 主イエスは続けて、「わたしたちは、知っていることを話し、見たことをあかししているのに、あなたがたは受け入れません」(11節)と言われます。この「わたしたち」は、主イエスと恐らくこれから大胆にあかしして行く弟子たちと考えられます。バプテスマのヨハネも重要な真理についてあかししていますが、主イエスが「わたしたち」と言うのには違和感があります。「天上のこと」は、天から下ったイエスが、モーセが荒野でへびを上げたように、上げられることとわかります。これは、民数記21章4節以下のところに出て来る、「燃えるべび」によるイスラエルの民へのさばきとモーセが作った「青銅のへび」によるいやしを指しています。主は、モーセにそのへびを旗竿の上につけさせ、すべてかまれた者が生きるようにしてくださいました。その蛇と同じように、人の子である主イエスもまた上げられる、すなわち十字架に掛けられて、救いの道を開いてくださいました。これが「天上のこと」なのです。十字架による救いは、さらに詳しく次週学びましょう。

  今泉キリスト福音教会 牧師:岡本 昭世 【説教インデックスへ
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